2020/12/22 22:05


クリスマスツリーの頂点に大きな星が飾られるが、この星は名前がある。

「ベツレヘムの星」といい、キリストが生まれることを知らされた学者達が集まった場所、キリストが生まれた場所である。

奇跡の星がキリストの生誕と共に現れ、ナザレから160キロもロバに揺られてベツレヘムに着いた聖母マリアは、たまたま泊まろうとした宿が満室、仕方なく馬小屋(正確には家畜小屋だったが)に泊まっていたが、この星の出現と共にメシア(キリスト)を産むのである。

ツリーの頂点に飾られる星はこのベツレヘムの奇跡の星を意味している。

クリスマスはキリストの生誕を祝う日だが、新旧どちらの聖書にも、その元になった死海写本にも、キリストの誕生日は具体的に記されていないが、4世紀に西方教会でキリストの誕生日は12月25日と初めて決められたようであり、東方では1月6日となっている。

さらに本来なら西暦はキリストの生まれた年を0年としていなければならないのだが、キリストは紀元前4年に生まれたことになっている。

これに付いてはそれまでローマ帝国の暦がローマ市創建を起算日としていたものを、キリスト教をローマ帝国の世界宗教としたとき、皇帝の命によってローマ暦からキリスト暦に置き換えたのだが、そもそもローマ市創建日が間違っていたことから、キリストの生誕年が紀元前になってしまったのである。

イエスは幼年期、大変貧しい暮らしにあり、7人兄弟の長男として家族の生活を支えていたようであり、1部外典の福音書ではイエス幼年期の奇跡談が載せられているものもあるが、これらの信憑性は極めて低い。

イエス幼年期の記述は聖書では少なく、特に12歳から30歳までは空白になっているが、マリアはイエスに彼の父がヨセフである事は告げていたが、神の子とは告げていなかった。
マリアは受胎告知を受けていたから、本来イエスにこのことを話すべきだったが、これを幼年期のイエスが逆にマリアに指摘する場面がある。

イエスは「自分の父の仕事に携わる」とマリアに告げ、マリアはこれに動揺するのだが、この記述ではイエスはヨセフの仕事を継ぐのか、神の仕事を継ぐのは分からないはずだが、これを記述したルカは後者であると判断して、マリアが動揺する場面を書いている。

しかし、本当はマリアはどちらか分からなかったのではないだろうか、ただ未だに告げていない真実の、その影に動揺したと言うのが正しいように思う。

またイエスは聖母マリアに対しては極めて醒めたもの言いをしている。
即ち、母を器に過ぎないと言うようなことまで言っているのだが、片方で罪深い女、後にカタリ派がキリストとこの女の子どもがいるとした、マグダラのマリアには極めて寛容かつ、大きな役割を与える。

そして・・・、ああ、そうだった

明後日はクリスマスイブだった

下世話な話はもう止めておこう、皆でクリスマスを楽しもう

 

昔、世の中がもっと大きく見えて、きっと美しいものが在ると思っていた頃、色んなものを背負っていた頃、クリスマスなどチャラく見えて、自分が祝う価値などないと思っていた。

でも、今はあの頃より更に大変なものを背負って、そして世の中は狭くて窮屈になり、美しいものが何なのかも解らなくなってしまったけど、思うんだ・・・。

 

光輝いていなくても、この世界には結構美しいものが沢山あるんじゃないかって・・・・。

他人から見たらこの程度だし、生きるのに精一杯で何もできず、もしかしたら生き方を間違ったかも知れないけど、これで良かった、これが自分だったと・・・。

 

そしてどんなに薄くて軽くても、それが一瞬でも世の中の争う気持ちを、感謝や優しさに変えてくれるなら、とても尊い事だったと・・・。

 

Espero que o mundo seja envolto em bondade.