2020/12/28 18:09



「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫の為に、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こる事のないやうにする事を決意し、ここに主権が国民に存する事を宣言し、この憲法を確定する」

 

これは日本国憲法の前文だが、これによると予め政府と言う組織は戦争の惨禍を起し易い、或いはその惨禍に最も近いところに在る事が前提とされている印象が有り、これは日本国憲法第98条の規定を見ても同じ印象が有る。

 

つまるところ日本国憲法は政府と言う存在を抑制する、またもっと極端な言い方をすれば仮想敵としている要件を持ち、憲法の精神が国民主権に有るなら、この国民主権を危うくする存在の近隣に政府が有る、若しくは政府とはそうなり易い組織である事が前提とされている。

 

太平洋戦争終結から間もなく、アメリカの憲法制度調査委員会の報告では日本の内閣制度、内閣総理性の矛盾点が指摘されたが、議会制民主主義の手本はイギリスに有り、これをあからさまに否定する事は出来なかった。

 

しかし、アメリカの憲法制度調査委員会は日本の議会制民主主義に措ける内閣、内閣総理大臣選定方式は極めて民主主義を具現しにくい制度である事を報告し、この制度は民主主義を長く維持できない事を指摘していた。

 

日本の議院内閣制、総理制度は民主主義を長く維持できず、いずれ国民主権を侵す存在となり得る事を前提として日本国憲法の草案を修正した経緯を持つ。

 

日本国憲法はその憲法の精神を侵す者が政府である事を出発点として、政府の権限を抑制する方向で草案された。

 

それゆえ政府、内閣を形成した与党内閣は常に日本国憲法の制約を受け、これを排除しようと憲法改正の声が上がってくるのはある種の必然でも有る。

 

日本国憲法第98条を具体的に判断する組織は最高裁判所だが、この裁判所で違憲の判断が出た場合、言葉で言い逃れる事は出来ても完全に無視、若しくは否定すると98条の「憲法に違反した法令、国の行為は全て無効となる」が必ず引っかかって来る。

 

98条を担保する強制権がどこに在るかと言えば、その存在は国民主権に逃げているから具体的な措置が有る訳ではないが、世論、次回選挙などに拠って国民は98条を主張する事になる。

 

 またこうした意味では国民の代表である国会は常に政府の政策に対し、国民を代表してそれを審議する権利と義務を負っているが、政府を形成するものが与党議員である場合は政府と国会が融合した状態を発生させ、行政(内閣)立法(国会)司法(裁判所)と言う三権の分立構成の内、行政と立法が融合した状態に陥り易く、これを日本国民の国民性が許容し易い事をアメリカの憲法制度調査委員会は指摘していたのである。

 

アメリカは合衆国だった事から、その州法には半直接民主制が多く存在していた。

 

民主制度には直接民主主義と間接民主主義が存在するが、国民の代表が議会を形成する以上、国民は代表を通して選挙でしか自身の意思を主張できず、この事は国民自らが権利を行使すると言う、民主主義の原則とは本来相容れない要素を持っている。

 

為にイニシアチブ(国民発案)とレファレンダム(国民表決)の規定を設けていたのだが、イニシアチブとは一定数の国民が発議した法案に対して議会の審議を義務とする制度、一方レファレンダムは議会が可決した立法に付いて国民の賛否を問い、その結果を最終決定とする制度を言い、これはアメリカやスイス連邦では古くから存在している当たり前の制度だった。

 

しかし第二次世界大戦前後ではこうした考え方は国際的に一般化していなかった。

 

まして民主主義に初めて接した如くの太平洋戦後の日本に鑑みるなら、この制度は少し早いと判断された経緯が存在したかも知れない。

 

イタリアは1947年、憲法にイニシアチブとレファレンダムを追加、1958年にはフランスが同様にこの2つの半直接民主制度を導入、その後世界各国の多くがこの半直接民主制度を導入したが、日本の憲法は政府を仮想敵としながら、その善性を信じる曖昧なままとなっている。

 

イニシアチブとレファレンダムと言う半直接民主制度は、基本的に議会(立法)に対する国民主権の介入であり、立法の権限を国民が直接議会と分有する事で、他の行政(政府)や司法に対して立法の独立を明確にする効果が有り、国民が立法を通して能動的な国家機関の一部となる事をも意味している。

 

また同義では財政も同じ事が言え、国家財政の最終責任者は政府ではなく、その効果は実損を含めて全て国民が責任を負わなければならない。

 

この事から財政もまた、民主主義に鑑みるなら国民の代表である国会が厳しく審議しなければならないが、やはり与党が内閣を形成していた場合は国会と内閣は融合してしまい国民の意思が反映されない。

 

日本人の多くが政治に関心を失うのは、それに直接参加する機会を失っているからに他ならない。

 

自衛隊の派遣法などと言う端則を巡って為される憲法改正ではなく、国民が政治に直接参加する機会を設け、国家の運営が国民と常に一体である為に憲法改正の道を開くなら、日本国憲法第98条は必要が無くなる。

 

政府はこれに拠って国民主権を担保し、国民と対立するのではなく、国民と手を取り合って、助け合って日本国の繁栄を築く事が出来るのでは無いだろうか・・・。