2021/01/03 08:24



(かのと)は十干の八番目、1本を2本が刺すの意を始まりとし、陰陽道では1本の「陰」を2本の「陽」が刺すを現すが、元々「神」や「信」などと同じように、日本語で「シン」と発音するものは吉凶相容れた様相、若しくはその様相が良く見えないものを示す場合が多く、「神」の始まりは「陰」が伸縮する様を始まりとも言われる。

 

従って辛の特徴は、どちらかと言えば正しく見えるもの、思慮深きもの、或いは秩序を「陽」と言う無邪気なもの、思慮の外に在る明るさが刺し貫くを意味する。

簡単に言えば数多くの愚かさが数の少ない秩序を刺し貫くを事を指している。

 

古来「辛酉革命」(かのと・とり・かくめい)と言って、「辛酉」には変事、革命が多いとされ、日本ではこの年に改元の慣わしが存在したくらいで、「辛」がこの世に形を現す時は「変事」「革命」「刷新」「改革」と言う痛みを伴う変化が発生する年回りとされている。

 

また「丑」(うし)は「紐」(ちゅう・ひも)の事で有り、幸福の「幸」の始まりは厚板の手枷(てかせ)、手錠を指すが、それに対して厚板の手枷よりは目立たないが、その目的はしっかり果たす紐の手枷を意味し、この事から物事が思う通りに運ばない様相を示している。

 

「丑」の紐は手枷よりも目立たない、また遠目には厚板の手枷よりは拘束されている事実が見えにくい。

この為、丑年は一見順調そうに見えながら、現実は厳しい状況を現し、「辛」(かのと)と相まって、表面上は難なく流れて行くように見えて、実は急激な「凶」が姿を現すかも知れない。

 

また間違いなく「革命」や「変事」からは逃れられない様相となる為、事の始まりが政治、経済、災害、イベントの失敗などを問わず、結果は政治的な変事、或いはそれ以前の政策が方向転換を迫られ、民衆の暮らしが激変する可能性が秘められている。

 

コロナウィルスで混乱していながら、続伸する株式市場だが、今年、その風船のように膨らんだ「虚」がはじける可能性が有り、実体経済とはⅠ万円も高くなっている日本の株式市場は「株価バブル崩壊」を警戒する必要が有る。

 

東京オリンピック、パラリンピックは、今年前半まで何とか開催できるように見えるかも知れないが、直前に開催できない、開催しても失敗する、後の経済的負担で紛糾するかのどちらになる為、これを目当てに商いをする者は、短期決済型収益で切り上げ、長く関わらない方が得策となる。

 

2本の「陽」、「陽」は本来吉凶どちらでもない唯の事象だが、それが出てくる時と場に無邪気な、或いは意思のないものを授けて行く。

この為、何事もなさそうに見えながら、その変事の発端は災害と言う場合もある。

 

どちらにしても「丑」は半分か3分の2くらいまでは平穏に見え、この見えると言う事はその後の「凶」が出て来れば「虚」になるが、それまでは「実」に同じで在る。

 

ゆえ、丑年のコツは、この平穏そうに見える時期を有効に使い、後半の凶事に身を潜めるを最善とし、物事をぎりぎり迄為そうとは考えず、早めに切り上げる事をして凶事を希釈する。

 

このコロナウィルス騒動に鑑みるなら、丑年の「紐の手枷」とはまことに絶妙な感が在る。

厚板の手枷ほど見た目の派手さは無く、効果もそれに劣るが、しかし確実に人々の動きを拘束し、「不安」を与える。

 

オリンピックと言う一大イベントを抱えながら、株価も高騰、前途は期待も有るが、薄く弱く、しかし確実にコロナウィルスは潜み続け、やがて2本の「陽」がそれまでの計画や秩序を刺し貫く・・・。

 

人の本来は吉凶で言うなら「凶」が9、「吉」が1のもので有り、これは如何なる年回りでも変わらない。

しかも禍福は糾う(あざなう)縄の如し、次の瞬間には禍が福に通じ、福が禍に通じる。

予言や占いで未来は変わらない。

ただ、「今」と言う時が過去に今だったものの集積された時で有るなら、今、この瞬間を正すは未来に変化をもたらすもので有り、いや、それが正しき未来となって行くだろうものであるに違いない。

 

雨を避けて晴れ間だけを享受する事は出来ない。

雨はその時の禍で有っても、後に恩恵をもたらし、その晴れ間の傲慢と怠惰は後に人の恨みを買い、妬みを招く。

 

順風満帆な時も、苦しい時も油断せず凶事に備え、善きも悪きもそこに留まらず次を思い、日々研鑽する。

丑年は「紐の手枷」だが、紐はまた厚板の手枷とは違って、粘り強く努力すれば解ける事を知るものでもある。

危機を脱した次に来るものは千在一偶のチャンスである。

 

令和3年、辛丑年、皆さまにご幸運の多き事を、謹んで希望致します。

 

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。