2021/01/05 18:33



「民衆は統治者とはなり得ない」

 

我々一般大衆と言う存在は常に意識されない既存統治状態を無視して物事を考えている。

現状で為されている政体の政策は全てが悪とはなり得ず、またそうした不完全な統治で有っても統治と言う事実に拠って為されている他国との関係、平和、戦争どちらにしても既存の確保が在って現状を比較している。

 

すなわち民衆の言う民主主義とはあらゆる点に措いて比較を始まりとする為に「創造」が無い。

正義も平和も自由も平等も、あらゆるものが現状に措いて被っている恩恵を0として、その恩恵に浴せない状態をマイナス、不足していると考え、この対角線上に正義や自由、平等の概念が築かれている。

 

私は家族に病人が多い為、よく病院から出された処方箋を以って薬局へ行き、そこで薬が処方されるのを待っている時があるのだが、ここでは自分より後に入ってきた者の薬が自分より先に処方された、順番が飛ばされたのは納得が行かないと、薬剤師に詰め寄る者の光景が時々見られる。

 

確かに自身は薬局が定めたルール、システムを守っているにも拘わらず、それを薬局自身が恣意的にしてしまっては、ルールを守った者は面白くは無いだろう。

しかしこの場合、薬局の恣意性は順番を飛ばされた者の推定であり、もしかしたら先に処方箋出されていて、用事を済ませて薬を取りに来ているかも知れない。

 

或いは高齢者でバスの時間に間に合わない人の為にはかられた、薬局の善意かも知れないのだが、こうした情報の全てを順番を飛ばされたと思った者が全て把握する事は出来ない。

 

根本的には組織の一部として動いている薬剤師ですら、会社や他の薬剤師の判断、来ている客の事情の全ては理解できず、人の判断と言うものはその時に出現してきた状況と、自分の環境から来る推理形態に拠って為されて行く。

 

そしてこの場合、順番を飛ばされた者は何をしに薬局に来ているかと言えば、薬を処方してもらう為に来ているので有って、この点で言えば彼のみが他者と比較して高額な薬を買っているわけではなく、医療保険制度で公平な規則に従った薬価を支払い、そして順番が飛ばされたとしても薬を処方して貰えなかった訳ではない。

 

つまり、順番を飛ばされた者は薬を処方してもらうと言う目的は達成され、しかも薬価に付いても既存で平等性は確保されているにも拘らず、唯それを貰う順番が前後した事に付き問題を全体に影響させて考えてしまっているのである。

 

その上で自身が理不尽な目に遭ったと考える者は、周囲の人々の情報の全てを知って判断している訳ではなく、自分が知る範囲に措いて不平等、不正義を考えているが、本来の目的である薬を貰うと言う点に措いて大きな平等も目的も達成されている事を認識できない。

 

民主主義の本質はこうしたところに有り、民衆の描く民主主義とは個人の民主主義で有り、時代や環境、その個人の事情に拠って異なるものの中に絶対性や平等を見ていて、必ず範囲が存在する。

 

この範囲を広げる為には人間や社会の情勢を広く知る事が求められ、為により多くの人間が情報を提供し合う努力が必要になるが、前出の薬局の話ではないが人の理解とは情報の範囲に拠って閉鎖性を持ち、一度閉鎖された範囲は対立になる。

 

よしんば範囲が広がったとしても、その範囲は自身と環境が似ている者、つまり考え方が良く似ていると錯誤している者同士の範囲を超える事が無い。

民主制のdemocracyが古代ギリシャでは「衆愚政治」を意味していた事は周知の沙汰だが、これはフランス革命でも実証された歴史的な事実である。

 

個人が持つ範囲はどれだけ大きな知識を蓄えようが全体を把握する事は出来ず、こうした中で少し広めの視野を持つ者が集積しても、その民主主義はその集団の民主主義でしかなく、しかもこうした狭義の民主主義は他の民主主義を理解する努力を初めから持たず、比較から発生する為に目的が既存の破壊に留まるしか無い。

 

ビジョンを持たないのである。

 

現況の不満の解消、不平等や不正義の解消から始まる民主主義は目標が比較対象の殲滅であり、その比較対象が為している現状の維持に関する努力が評価できない事から、全体の把握を初めから拒否した状態にある。

 

この世界にスピード違反を一度もした事が無く、一度の嘘も付いた事が無い、法を犯した事が無く、人を裏切った事もない。

悪しき事を一度も考えたことは無いと言う者が在れば、その者こそが大きな嘘つきか、或いはもはや人ではない。

 

薬局の話に出てくるように、我々は人の事情の全てを知る事もなく、唯出現する事実が自身の信じる手続きに即さない事に対して怒り、こうした自身の在り様を省みる事も無く、更に他者が自身を理解しない事を不満に思うのであり、それゆえ民主主義と衆愚政治が「democracy」と言う言葉で同義となるのである。

 

民主主義は一般的に近代的な考え方と思われがちだが、完全民主制である直接選挙の概念は実は古典概念である。

しかし間接選挙制では君主政治や寡頭政治と大きな違いが無くなり、民衆の意見は反映されにくい。

 

そこで発生して来るのが「半民主主義」、民衆が干渉できる程度の間接民主主義の概念であり、これとて完全民主主義を目指すなら途中の過程のように見えるが、多くの者がが理想とする完全民主主義は、実はとても古典的な、古代には最低であるとされた政治体制である事を覚えて置くと良いだろう。

 

民衆が行う政治とは大きな目標を蔑ろにし、正義や自由平等と言った手続き主体のリンチ、恐怖政治に陥り易い。