2021/01/06 19:55



1923829日東京、午後8時から850分頃、江東区清澄公園から隅田川を左に見ながら墨田区本所まで遡る区間のあちこちで、ちょっとした人だかりが出来ていた。

 

余りの異様さに言葉も出ない群衆の視線の先に有ったものは何か、それは現代の表現を使うとしたらどんな光景だろうか、おそらくキングキドラの光線が地面から垂直に上にあがっては横に倒れて行くような、そんな光のショーが清澄から本所までの一直線上に何本も現れては消えしていたのである。

 

その光の柱は辺りに立っている家や木などまるで無いも同然に付きぬけ、数十メートルまで上がったかと思うと、先が広がって次々横に倒れて地面に消えて行った。

 

しかも視覚的にはとんでもない異常な事態にも拘わらず全くの無音、まるで何かの夢を見ているような群衆も言葉は少なく、この静かな光のショーは約1時間に渡って繰り広げられた。(武者金吉著・発光現象の研究及び資料)

 

また同年831日深川、笠原昌二氏は同郷の友人と一杯呑んでから寮へ帰る途中、道端で用を足そうとしてズボンのボタンを外した時、突然東京湾の方向が横一直線に光に包まれ、その光は強弱を繰り返しながら3回ほど連続するのを目撃する。

 

そして192391日、後に東京帝国大学地震研究所長、(所員兼務)を務める寺田寅彦は静岡で釣舟に揺られていた。

そろそろ昼食の時間かも知れないと思って太陽の高さを見ようと顔を上げた瞬間だった。

彼の視線の先に有った箱根の山のすれすれをまるで列車のような細長い光の帯が走って行った。

 

彼は後の記録でこの時、「ああ、東京がやられた」と瞬時にして感じたと記録している。

 

ちなみに前出の「武者金吉」は昭和3年に寺田寅彦の東京帝国大学地震研究所の嘱託として地震研究と関東大震災の調査に携わっているが、関東大震災の予兆は寺田寅彦も武者金吉も既に把握していた。

 

だがそれが一体いつ起こるのかが解らなかった為、悶々とした状態が続いていたのだが、寺田寅彦が光の帯を見て「ああ、東京がやられた」と瞬時に思う背景には、それまでの彼らの研究の中で、光の帯はある種決定的な地震の前兆現象として認識されていたと言う事である。

 

ここでは関東大震災の時の発光現象を時系列で記載したが、こうした発光現象は地鳴りや異常音以上に決定的な巨大地震の前兆現象と言え、発光現象の多くは震度5以下の地震では極めて少ない。

 

それゆえこうした発光現象が出現した場合、まず間違いなく震度5以上の地震が発生し、それを目撃したと言う事は、自身が震源の近くにいると言う事である。

 

冒頭の清澄から本所で出現した発光現象は、同じものが1946年の南海地震(M80)でも目撃されている事が武者金吉の著書に記されているが、この時光の柱が目撃されてから地震が発生するまで数時間、数秒と言う記録が残っている。

 

清澄、本所では4日前だったものが、南海地震では直前に発生している。

 

従って発光現象は巨大地震直近の現象であり、これが目撃された時は長くて4日、早ければ直後に地震が発生し、どちらかと言えば直後に地震発生となるケースが多いと言う事であり、中でも列車状の光の帯は震度6以上の地震では殆ど出現している前兆現象と言える、いや地震が既に始まった事を示す直前現象と言っても良い。

 

列車状の細長い帯のような光を見た場合、その2分から6秒後に間違いなく震度以上の地震に遭遇し、地面から光の帯や雷が上に上がっていく場合は、5秒以内に巨大地震に遭遇する。

しかも地面から光が上がる場合は、そこがほぼ震源である。

 

また北極圏で見られるオーロラ、この南限は東京くらいの緯度までだが、厳密な南限は決まっていない。

 

しかも日本くらいの緯度では光の波長の関係から、見られるオーロラの色は「赤」が限界かも知れず、通常でも見られない現象ではないが、例えば東京でオーロラが見られる確率は90年に1度くらいのもので、それも何日も続かない。

 

しかし能登半島地震や中越沖地震では、地震発生の2日前くらいから夜空にカーテンの裾のような赤い光が現れた事が報告されていて、単に赤い光と言う事であれば古文書から始まって大きな地震の前に見られたとの記録が多く残っている。

 

北海道付近ではそれ程珍しいものではないかも知れないが、本州で赤いオーロラが出現した場合、この場合も翌日か翌々日には巨大地震が発生する確率が高いと言えるのかも知れない。 

 

だが光の地震前兆現象の最も特徴的な部分はその多くが無音だと言う事である。

 

地面から光が上がる、天から雷のような光が落ちて海に沈んで行くにしても、それが何の音も無く現れる、この不気味さと恐ろしさは巨大地震を想定するに充分な異常現象と言える・・・。