2021/01/18 05:46



利子と言えば貨幣制度と共に成立してきた概念と思われがちだが、実は利子の概念は貨幣制度より遥かに遡った時代から成立していた。

 

例えば日本の律令制度では天皇は天上の方であり、この意味では租税そのものが神への貢物だった訳で、こうした中で不作などが発生して種籾が調達できなかった場合、朝廷は種籾を貸し付けるが、これは神から借りたものであり、農民は借りた種籾より多くの量を神に返す事で恩恵に感謝する意味が有った。

 

また儒教的精神の「礼」を形に表すとする時、その「礼」は自身が得られたものより多くを返す事で表される考え方も一種の利子思想へと通じるかも知れない。

 

それゆえ欧米では12世紀くらいまで基本的には禁止されていた利子の思想は、東洋では一般的な概念だったとする歴史的見解が多いが、日本のそれも「神」を建前としている点では欧米の表面的禁忌と大きな違いは無く、儒教のそれは自主性と言う要素が建前である事に鑑みるなら、利子の思想は建前上は嫌われながらも現実には常に蔓延していた思想と言える。

 

欧米では12世紀くらいまでは「時間は神のもの」と言う概念が有り、従って時間経過を利用して益を得る事を禁じていて、前出の日本の例でもそうだが、利子は「神の領域」の話である事から、基本的に一般大衆がこれに関与してはならない、或いは民衆の単位がこれを主張する事を差し控える微弱禁忌思想が存在した。

 

しかし現実にはその神を代弁する存在、欧米では教会や司祭、日本でも寺社仏閣、神職や僧侶、或いは公家達に拠って「手数料」名目で利子の徴収が行われ、この利子の概念を禁忌から表の世界へ引き上げたのが中世の原理主義キリスト教、プロテスタントであり、それまで表向き禁止されていた利子の下で「地代」や神仏に名を借りた利子の請求がまかり通っていた日本でも、上限20%の金利が整備され、それが段階的に下げられて行ったのは江戸時代の事だった。

 

しかもこうして江戸幕府が金利を制限したにも拘わらず、相変わらず手数料名目の利子は存在し続けていた。

 

また中世以前の世界的な利子の概念、働かずに益を得る「不労収益」に対する蔑視概念の根底に鑑みるなら、薄い完全計画経済、いわゆる原始共産主義の影を感じるのであり、社会主義や共産主義の概念はもしかしたら資本主義や自由経済主義よりも古い概念、若しくは資本主義は本能の概念、社会主義や共産主義は文明成立直後の宗教的道徳概念だった可能性すら伺える。

 

宗教を完全否定する共産主義だが、この権威を担保したものの歴史的背景には「神」が存在したかも知れない。

 

金利、利子の思想は基本的に時間は誰のものなのかと言う、決して結果を出す事のできない命題を担保にしている。

 

中世以前の世界が利子に対する後ろめたさを神に隠れた在り様は、これはこれで謙虚な姿勢だったと言えるが、現代社会はこの神の領域、或いは儒教的善性を権利としてしまっている事から不幸が始まっている。

 

生物の運命は今日死ぬか明日死ぬかは解らないのが普通だ。

 

これを今日も明日も確定させて物事を考え、しかもこうした生物の運命を保険で担保して損益を補填する在り様は、時間を金に変え、その時間の為に命を売っている形態を生じせしめる。

基本的には時間や運命と言う、ある種人間が踏み込めない領域部分を、契約でやり取りする事の危うさが存在する。

 

そしてこのような、元々は建前上でも「お礼」と言う「自主性」だった利子が権利に発展した結果、現実には有り得ない計算上の概念が現実を歪める現象が発生した。

 

世界で初めてマイナス金利が発生したのは2003625日、日本での事だった。

 

金融機関同士の資金のやり取りであるコール市場で世界最初の逆金利状態が発生し、これ以降ヨーロッパでは2012年頃から軒並みマイナス金利政策に転落していったのだが、マイナス金利発祥の地である日本は、2016年になって、このマイナス金利政策をヨーロッパから逆輸入しようとしている。

 

金利のマイナス状態はインフレーションで物価が高騰する時、利子が追いつかない場合も実質マイナスになり、この概念はどちらかと言えば時代に対する損益に相当するが、銀行預金のマイナス金利は金を借りた者が利子を受け取ると言う、極めて不自然な状態を招く。

 

金を借りている者が「金を借りてやっている」、或いは「金を保管してやっている」と言う事になり、ここでは金は邪魔者扱いを受けている事になる。

デフレーションを中和する作用をインフレーションに求めるのは間違いではないが、これは最初に消費が存在してそれが抑制されている状態が存在して初めて成立する政策である。

 

先進国では既に求められる消費はローンに拠って先食いされ、加えて耐久資材などは行き渡ってしまっている。

日本などはこの上に少子高齢化と言う大きな消費減少が発生している。

つまり得られるべき消費が無い。

 

世界市場を席巻している消費停滞は既存のデフレーションやインフレーションでは無い可能性が高い。

 

資本主義の限界、消費が少しずつ終わってきている現実を弁えないと、市場にどれだけ金をばら撒いてもその金は消費に回らず金も停滞し、ついには金の保管費用が発生する事態に陥る訳である。

 

これは言い換えればターゲットインフレーション政策に拠ってばら撒かれた金が行き先を失っている、市場に金が飽和状態になっている事を意味し、結果として金をばら撒いても状況が変化しなかった事を表している。

 

もっと言えば「マイナス金利」に拠って事態の改善がはかられたとしても、そのマイナス金利直前の悪かった状態に戻すのが精一杯で、以前の悪かった状況をプラスマイナス0とする仕切りなおしぐらいの意味しか無く、過去マイナス金利から経済が立ち上がった実績は一度も無い。

 

常にこの状況を脱したいと言う思いから出る、他の政策に拠って何とかして行くだけである。

 

 「マイナス金利」とは、その直前の経済政策が失敗だった事を意味している。

 

 [本文は2016年1月30日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]