2021/01/24 17:33



ここで大切なのは消滅と言う概念だが、破綻の概念は既存が細かく割れて分散する事を意味するが、消滅は次に新しい秩序を打ち立てる、その欠片すら残っていない状態を指し、距離としては消滅は破綻よりは長くなるが、次の構築は難しい状態と言え、日本経済はまさに今、消滅への道を選択していると言えるかも知れない。

 

2013年、既存貨幣概念では国家財政運営が難しくなった日本政府は、藁にもすがる思いで新貨幣概念「MMT理論]を採用して行ったが、この際国債の自国通貨での買取を40%と考えた。

 

この発想基盤は良く理解できないが、日本の総自給率は40%、残り60%は輸入に拠ってしか調達できないからかも知れないが、元々新貨幣概念は通貨発行に関してインフレーションが起きなければ理論的に無限なのだが、その無限に対する40%とはどう言う根拠が在ったかは、やはりそう言う事だったのだろう。

 

しかし、こうした政策を行うにも、旧来の基礎貨幣概念とのハイブリッドだった為、国債の買取を全て通貨発行で賄えば税金は必要なくなるが、税も徴収しながら通貨も発行すると言う原資、しかも国家予算はどれが通貨発行か、どれが税金で徴収されたかは区別できない総合的なものだから、この原資の状態では税を徴収された分だけ、国民と中小企業は支出を増やした。

 

その原資がどこへ行くかと言えば、新貨幣概念である国債と株式に向かい、国民と中小企業は恩恵が無い割には、トータルすれば株式は好調、国債の金利も上昇していない、通貨下落にもなっていないように見えてしまう。

 

国民や中小企業は支出した原資に拠って、疲弊してきているのだが、大幅に膨らんだ株式と国債市場がそれをカバーした形になって総合的には好景気、しかし何故か国民生活は苦しく、中小企業経営はより厳しくなり、好景気と言われながら国民経済は衰退してきていた。

 

「おかしいな、好景気と言う割には自分の所は苦しくなってきているのは、自分が悪いからなのか・・・」と言う感じになって来ていたのは、新貨幣概念の方向性が、旧来の既存貨幣概念側を向いていないからであり、その中で暮らしている国民には緩やかな負担増は有っても、事態の好転は無かったのであり、その分新貨幣概念側の国債と株式に恩恵が集中した。

 

人体で言うなら、体の容積よりも脳の拡大概念が大きくなり、既に心と体が分離を始めてきていると言う事になる。

いや、正確には分岐点なのだが、今ここで新貨幣概念を諦めれば夢から覚める事になり、その決済は旧来の貨幣概念で行われる。

「破綻」「デフォルト」である。

 

唯、このまま中途半端に続けて行っても、最後は体が腐ってきても「まだ行ける」と言う状態になり、結末は「消滅」になる。

 

これを海外から見ればどうなるかと言うと、新貨幣概念を提唱、支持して来た経済学者は株価の上昇、国債の金利が上がっていない、通貨が暴落していない、ハイパーインフレーションにもならずに、国民生活は維持されているから、MMT理論は成立したと主張する。

 

しかし、先進国の財務、金融担当機関の多くは、その視覚的な成功に対し「今のところは・・・・」と言う見識が殆どであり、凡そ経済を少しでも学んだ者であれば、これから先の日本がどうなるかは察しが付いている事になる。

 

株価、国債市場が飽和しながら膨らんでいき、体となる国民生活や中小企業は茹でカエル状態で、好転してきていると思いながら、弱者や体力のない者、小さい者から少しずつ死んで行く。

 

その状態を想定しながら、「破綻」を避けて行くであろう日本政府の政策に拠って、「消滅」と言う経済状態が如何なるものかを、興味深く観ていると言うのが現実ではないだろうか。

 

また過去の歴史に鑑みるなら、国際社会は既存、旧来の貨幣概念が貨幣増刷に拠る金融緩和の後、経済がブロック化し、そこから国際的緊張状態が発生して、大きな戦争が発生した経験を学習している。

 

新貨幣制度は確かに新たな貨幣の概念では在るが、それが全てではなく、既存の貨幣概念も包括している事に鑑みるなら、国際社会は今までより25%ほど、大きな戦争に対するリスクも生じ始めている事を、認識しておく必要が有るかも知れない。

 

どんな概念も思想も普遍で有り続ける事は出来ない。

今日来た道は、明日は通れないのが標準で有り、これに対応するのは固定化した思想や概念ではなく、柔軟に臨機応変に運用する人間の在り様と言え、この柔軟で臨機応変で在る事を担保するものは、多様性と他者の意見を尊重する心と言えるかも知れない・・・。