2021/01/29 17:59



遠近法の種類はその消失点の数で分類するなら大まかには3種、理論的には無限に存在する事になるが、ここで言う消失点とは例えば車のヘッドライトの光点は2つだが、遠くに有る場合はこの光点が一つに見え、理論的にはいつかの距離には見えなくなる点を持つ、この点の事を消失点と言い、消失点が1つで描かれたものを「一点透視図」消失点が2つのものを「二点透視図」と言い、3点の消失点を持つものを「三点透視図」と言う。

 

これらは幾何学的な理論遠近法だが、この理論は紀元前のギリシャで既に登場し、ヨーロッパで再び脚光を浴びたのは14世紀の建築設計様式だった。

その後100年と言う単位を置かずにこの幾何学的遠近法は絵画の世界で重用されるようになり、絵画の世界に一つの法則をもたらす事になった。

 

そしてこうした技法と同じように、色彩の濃度に拠って遠近を現す視覚上の遠近感表現方法が「空気遠近法」であり、この技法は近くのものは鮮明に見え、遠くのものはぼやけて見える人間の視覚特性を利用した遠近法であり、例えば日本の水墨画などの技法にはこうした様式が多用されている。

 

更にこうした「空気遠近法」の中に色彩に拠って遠近を表現する「色彩遠近法」が存在し、地球で暮らしていると空気の色は透明だが、宇宙空間に浮かぶ地球の大気は「青色」である。

この事から遠くの物体は薄い青の色でも遠近感を出す事が可能で、こうした原理を「色彩遠近法」と呼ぶ。

 

一方こうした遠近法の基礎的理論の解明を人間の目と、光の関係から考えたものが「円錐図法」であり、人間の目の形状から視点に投影される光の形は「円錐形」になる事が11世紀には発見されていた。

 

これが簡単な理論に置き換えられたのは15世紀の事であり、投影面の座標を「感覚」ではなく公式に拠って導く事が出来るようになった。

そして18世紀後半から19世紀初頭、日本の「東洲斎写楽」を初めて目にしたヨーロッパの画家達は驚愕する。

 

ヨーロッパの幾何学的理論遠近法が絵画の画面を0とすると、その奥行きに付いて考えられたもので有ったのに対し、写楽を初めとする日本の浮世絵は0の画面から手前側、つまり見る人の側に出てきていたのである。

 

人間の手は意外に大きくて、広げれば顔の大半に届いてしまうものだが、写楽の手は少し小さい。

 

顔と手の位置では若干手が前に出るはずだから、それでなくても顔との比率は幾何学遠近法では手が大きくなる。

しかしこの手を苦しいまでに歪め、そして顔の表情を前面に出した描写は、逆に人物が浮き出るほどの情感を画面から発していたのである。

 

ヨーロッパの画家達は写楽などの日本の浮世絵から理論ではなく現実にどう見えるかと言う、「人の遠近法」或いは目的を持った遠近法「意匠遠近法」を感じ取っていた。

 

理論や物理は確かに道理としては大切だが、実際の人間は道理の通りではない。

これは物質的にも行動的にも一致しない。

これを正面から感覚として取り込んだ近世日本の浮世絵の出発点は「商業美術」だったと言う点に尽きる。

 

大衆と言うある種の「うごめき」が持つ嗜好は理論ではない。

そこで何が売れて行くかと言う事を考えるなら目的が存在し、その目的の為に描かれる絵は欧米絵画の「自然の理の追求」に対する「人の現実の追求」と言える。

 

浮世絵が発生してくる下地は日本の宗教観に由来する。

過去社寺やその絵師たちに拠って描かれた絵や版画は神社仏閣をお参りした際、帰りの道すがら一般的に売られていた。

 

大衆はこうした神仏の絵や版画を買って帰り家の家宝とした経緯が有り、この絵や版画にその後発生してきた浮世絵の人物に対する感覚的遠近法を見て取る事が出来る。

 

またこうした日本の意匠遠近法は漫画の世界にも独特の影響を及ぼし、日本の漫画は太平洋戦争後暫くは欧米の近代遠近法やデフォルメを用いてたが、やがてそのデフォルメは現実を飛び出す程ダイナミックになり、遠近法の観点からもさまざまな画法を確立して行った。

 

日本のアニメが今日世界を席巻するのは唯の偶然ではなく、こうした古くから続く日本独特の「人遠近法」「意匠遠近法」と言う、意識されない感覚に拠るものを背景に持っているからかも知れない。

 

ちなみにこの「意匠遠近法」は私の考え方、解釈では有るが、現代の商業美術には実に多く用いられている。

身近なところで言えば、自動車のパンフレットなどで、写真では車が立った人間の高さを超えているが、実際に納車された車は自分の背丈を超えていない・・・。

 

これなどは自動車の比率を拡大し、モデルなどの人間の比率を小さくして自動車をアピールする意匠を持ち、例えばビールなどのコマーシャルでも、実際の人間の手の比率より缶ビールの大きさが拡大されてアピールされ、現実の色彩にはない鮮やかな色彩に拠って遠近法を出している場合もある。

 

つまり現代の遠近法は、15世紀ヨーロッパ絵画が画面を0として考えられたのに対し、その0から色彩的も映像的にも手前に飛び出す遠近法となっているのであり、こうした世界的な商業美術の先駆者が日本の浮世絵だったと言う事が出来るのかも知れない。

 

ヨーロッパで車が生産され始めた頃、高級車の意匠遠近法、アピール点は「エレガント」だった。

しかし昨今日本の自動車の高級意匠遠近法は「威圧感」になっていて、これはトヨタの高級自動車のコマーシャルをはじめ、多くの日本メーカーのコマーシャルが同じ傾向にある。

 

強さとは優しさであり、その優しさは強さを誇らないところに在る。

「威圧感」とは弱き者、愚か者が描く高級感かと思うが・・・・。