2021/03/09 18:14



2011311日は忘れることができない日だった・・・。

 

前年から高い気温が続き、多くの魚の異常はその数年前から続きながら、何も発生していなかった為、2010年、私は「何か大変なことが起こる」と、幾度となく記事を書いた記憶がある。

 

中でも「猛暑と地震の因果律」は20108月に書かれたものだったが、高い気温と地震の関係、政治的混乱と地震の関係を書かれたこの記事は、数人の人が事前に紹介していてくれていた為、東日本大震災発生直後から「予言が当たった」として、今の言葉言うなら「バズった」

 

以後、高い気温と地震の関係に関するサイトが増えてくるのだが、その始まりは2010年からなのである。

しかも、私は地震を予知したのではなく、完全に外していた訳で、何かが来ると思いながら、日本と言う列島構造上の基本である日本海溝を全く考えていなかった。

 

かつて阪神淡路大震災のおり、やはり私と同じように地震を研究していた先輩が、神戸に住んでいて、こんなにも色んな事が在ったのに、大地震を予見できなかったと涙をこぼしていた事が思い出された。

 

こんなにも色んな現象が現れ、相当なものがやってくると思っていながら、最も基本的なものを見ていなかった。

福島や宮城の人に申し訳ない気持ちで一杯になったものだった。

馬鹿だ、狂人だ、山師だ、詐欺師だと言われても良い、何でもっと大騒ぎしておかなかったのかと悔やんだものだった。

 

そして私は某中央新聞の記者と連携し、被災地がこれからどう言う余震に見舞われるのか、どう身を守れば良いのかを共同で発信して行ったが、その際キーワードとなるものが「どんな辛いことが有っても春になれば必ず花は咲き乱れ、大地は緑で覆われる」だった。

 

このキーワードの始まりは1974年に放送されたテレビドラマ「日本沈没」の主題歌で、五木ひろし氏が歌っっている「明日の愛」の中に出てくる「花は咲く、春になれば、地の果て続く限り」を元にしていて、演歌が大嫌いだった私が唯一、小学生の時に聞いて涙が流れた曲だった。

 

こうした記事を書いたのが2011316日の事からだったが、それから1か月後、「花~は、花~は、花は咲く」と沖縄音階で楽曲を作った者がいて、これをNHKが取り上げて行った経緯には、その余りにも軽薄な在り様に反吐が出る思いがした。

 

絆だ、愛だ、復興だと言うものが、その地域にどう言う影響を及ぼすか、能登半島地震や中越沖地震後、それらの地域がどうなったかを見れば、東北が同じような目に合う事は明白だった。

 

関東大震災では、東京が火の海になった翌日には、既に廃材でバラックを建て、雑炊を売るものが出てくるし、当時の写真の中には、周囲の人を気にする事もなく、水たまりで裸になって体を洗う若い女性の姿も写っていて、「生きよう」とする自主性に満ちた力がみなぎっている。

 

また政府も被災して死亡した人を搬送する為に、生き残った民衆を使っている。

それもボランティアなどと言う中途半端なものではなく、金やコメを払って雇用していくのである。

 

援助とは難しいものだ・・・。

補助金も同じだが、常に底上げしてくれるものが在ると、その分人間は力を失う。

そして復興予算が終了した時には、街並みは映画のセットのように美しくなり、カラー舗装の道路は実に素晴らしいが、誰も人がいなくなるのである。

 

東北の人たちは震災に拠る絶望より、その後の復興事業と「優しさ」にこそ絶望した人も多いだろう。

 

福島原発付近は放射性物質の半減期から、後20年はそこには住めない。

迫ってくる過疎と経済的沈降、目立つ者だけが優遇されて行く復興事業、それらの前に今まさに人災を被っているかも知れない。

 

こうした日本海溝そのものの動きに関して、余震や付帯地震の傾向は最低でも60年、場合によって200年程同じ傾向が続くと推定される為、現在のような地震が多い状態は、恐らく60年は続く可能性があり、範囲は全国に及びます。

毎年震度7、6の地震が平均2回~3回、震度4、3は日常茶飯事と言う形が常態化するでしょう。

 

でも、春になれば同じ場所から、去年と同じ草が芽を吹き、花をつける。

それはまるで陽が昇り、沈むの如く、当然であるかのように静かに、確実に花を咲かせる・・・。

 

2021311日、東日本大震災が発生してから10年の節目を迎えるに際し、亡くなられた方々とその遺族の方々には、あらためて追悼の意を表します。

 

尚、当時書いた記事の内、今の時代に最も必要であろうと思われる記事を、掲載して措きました。

「鉞(まさかり)を研ぐ子供」、2011年327日の記事です・・・。