「コップの水」・2 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2021/04/21 21:02

信頼とは実は失敗しないことではなく、失敗したときの処理に関係したものである。

 

誰でも失敗はあって、通常できればこれを隠して置きたいが、いつも失敗を隠してばかりいると、周囲は常に失敗を想定した状態でその人物なり国家を見てしまう。

この状態では言葉での説明が無意味になってしまうが、一方いつでも失敗したときは正直に周囲に知らせて置くなら、周囲は常にその人物や国家を疑う必要が無くなる。

 

つまり失敗は隠蔽すれば隠蔽するほど、平常時の信頼も失わせるものなのである。

 

日本はこれまでずっと原子力発電所に関して安全神話を誇ってきたかも知れないが、それなら尚のこと、事故が起こったときには客観性を持った対応をすべきだった。

 

既にここまで日本の信頼が失われた今日、取れる手段はそう多くはないが、汚染水の海洋投棄などはそもそも東京電力が決済能力を持っていない国際的な問題であり、このことが国際社会に与える影響はある種リビアのカダフィ大佐ぐらいのことでは済まされない重要な問題と言える。

 

ゆえにこうした状況下で日本が取らなければならないもっとも重要な課題は、失われた信頼性の回復と言う事になるが、その際は「客観性」が重要なポイントとなる。

つまり既に信頼を失っている日本政府や東京電力は、外部の信頼性のある権威に頼らなければ信頼の確保ができない。

 

IAEA(国際原子力委員会)から推薦を受けた研究員で作られた専門委員会、若しくはIAEAも含めた世界的な研究者10名前後の委員会を発足させ、彼等の勧告に従って福島原子力発電所の処理をしていく方向を作り、彼等に暫定放射能基準値を設定してもらい、そこで安全性の問題も検討して行けば、ここでは国際社会の理解も得やすく、放射能汚染が終了した場合の安全宣言も国際的な効力を持つことになる。

 

残念なことだが、この震災に置ける福島原子力発電所の放射能汚染問題は既に東京電力はおろか、日本政府にあっても完全に解決能力を失っている。

 

人間は原子力や放射能に対して余りにも分かっていないことが多すぎる。

科学とは言っても、例えば火が燃える原理は分かっていても、肝心の「何故そうなのか」と言う部分は現象の積み上げでしかなくその理由は分かっていない。

 

だがしかし、分かっていないからそれは危険だと言って避けていれば、人は恐らく今に至っても火を使うことはできなかっただろう。

 

放射能は恐い、がしかし今回の福島原子力発電所の事故で、今までに一般大衆の中で放射線被曝事故に遭遇した者がいるだろうか。

 

福島原子力発電所の放射能漏れを制御しようとして被爆した作業員は存在しても、一般大衆は今までに一人も被爆傷害を受けた者がいないにも関わらず、報道や情報によってそれを恐れ、その恐れが今日福島県や茨城県、千葉県の農民や漁民、一般大衆に影響を与えているのではないか。

 

放射能が人類の将来にどれだけの影響を与えるのかは未来にならなければ分からない。

その分からない事を現在の時点で語っていることが既に大きな矛盾と言うものだが、こうしたものには「真実」は有り得ず、結局のところはコップに入った半分の水をどう思うかと同じことである。

 

人類はより多くの同じ意見を、より多くの者がその説明を支持するに足る方法をして「真実」とするしか道を持たない。

 

そしてこうした観点から現在の日本を考えるなら、毎年3万人を超える人が自殺する現実を語ることなく、被曝した者がいない原子力発電に反対することが今の日本人のやらなければならないことだろうか。

 

放射能の正体など誰も説明が付けられないものを、他人の意見をしてあたかも知識であるように錯誤し語っている間に日本は、人類のより多くの者が支持するに足る方法、つまりは「真実」から遠ざかってはいないのだろうか。

 

現在日本がやらなければならないことは、起こってしまった原子力発電所の事故を嘆いたり非難することではなく、どうやって汚染水や汚染を処理するかであり、如何なる方法で失った国家の信頼の回復を考えるかである。

 

こうした作業がない限り、原子力発電所の賛成や反対意見など、全く意味を持たない。

 

その以前に日本は火力発電所の燃料すら買えなくなっていたなら、日本の今の騒ぎはサルの絵を見て威嚇しているサルにも劣るものとなるのではないか・・・。

 

現実が持つ速度は情報の持つ速度より遥かに重く、その分情報は現実を離れて先を急ぐが、現実と情報の乖離こそが多くの場合、過ちとなり易い・・・。


[本文は2011年4月6日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]