2021/08/24 18:15



「その企画では、だめだと思います」

「○○さん、それはどうして」

目が大きくクリッとしていて、少しきつい感じはするが、口元がきりっと結ばれているときの彼女の顔は、可愛いというよりは綺麗だったし、身長こそ低かったが輪郭のしっかりした姿勢は、ある種の精悍さも感じられ、社内では結構人気が高かった。

しかしこの女、なぜか私には徹底的に楯突くと言うか、逆らうと言うかの態度で、同じように地方出身だからと思い、親近感を持っていたにもかかわらず、私の企画には必ず反対し、他の社員にはにこやかなのに、なぜか私には「ふんっ」と言った感じで、振り向いて去っていくとき、後ろに結ばれた長い髪が私の眼前をよぎる瞬間、その速度にまで憎しみを感じるほどだった。

勿論、私が彼女にセクハラでもしていたのなら、そうした態度もやむなしだが、そんなことは無く、何か気に障るようなことも言った記憶も無かったが、出向でこのデパートに来ていた期間を通して、結局彼女とはいつも対立と言う手段でしかコミニュケーションが取れなかった。

やがて私は生まれ故郷にある本社の経営が悪化してきたことから、北陸へ戻ることになり、それを機会に独立したが、東京から帰って1年半ほどのことだろうか、1本の電話がかかってくる。
そしてそれは懐かしくも苦々しい、くだんの徹底抗戦の女からだった。

「会えないかな・・・」、彼女はどう言う風の吹き回しか、少しばかり元気が無い声でそう話したが、思わず「会えない」と言おうとした私は、少し大人気ない気もして「いいよ」と答えると、彼女が待っている近くの駅まで車を走らせた。

彼女はこの地域の景色にはどこか溶け込んでいなくて、ベンチに座っていてもすぐに分かったが、下を向いている姿は昔よりは少し輪郭が弱くなっているように感じた。
「久しぶりだな・・・」
声をかけると、驚いたように私を見上げた彼女の顔は昔とまったく変わっていなかったが、わずかに憔悴しているような気がした。

ちょうど昼食をとっていなかったので、私は彼女を誘って馴染みのレストランに入って定食を頼み、彼女も同じものを頼んだが、こう言うところはやはり仲が悪かったとは言え、その職業人らしい「気の短さ」だ。
食事のオーダーは同じものを頼めば早くなる。
時間の無い者の考え方だった。

彼女の話は衝撃的なものだった。

彼女は米沢の近くの出身だったが、父親が土建会社をやっていて、その父親が亡くなったので、今度自分が後を継ぐことになったと言うのだ。
子供は自分1人しかいないし、母親はずっと体が弱く寝たり起きたり、他に選択の余地は無く、10日前に葬儀を終えて、東京まで荷物の整理に行った帰り、遠回りをして北陸にまで来たとのことだった。

そして、彼女は私に「ごめんなさい」と一言、それに対して私は「なぜ」と答えたが、私が本当は彼女のことが好きだったと言うと、顔を上げた彼女の顔は一瞬でバラの花が咲いたようになり、自分もそうだった、でも私が長男でいつか帰ってしまうことを知ってから、そのことで物凄く腹が立ち、ずっと反発していたと語った。

彼女はそれを言いにわざわざ北陸まで遠回りしてきたのだった。
そしてここでこんな話をすると言うことは、彼女は私にお別れを言いに来たのだ。
彼女らしい「かたのつけかた」だが、これから先、土建会社を仕切るのは大変なことになる、ましてや彼女は女だ、その道はとても険しく失敗するかもしれない、でも彼女はそれに命を賭けるつもりなのだ。

だから昔の自分と決別するために、心に引っかかっていた私に本当のことを告げ、心おきなく先に向かおうとしていたのだった。
そしてこの場面で私に自分と付き合ってくれとは言わないのは、自分が土建会社を継がねばならないことからも分かるだろう、自分ができないことを人に求める女ではないし、それより何よりも彼女は同情されたくなかったに違いない。

だからせっかく過去の因縁が氷解したとしても、これは素晴らしい「別れ」の場面だったのである。

こんなことがあって翌年、彼女が私に仕事を頼んできたので、それが仕上がったとき様子を見に行こうと思った私は連絡を取り、米沢の近くの駅で待ち合わせたが、そこへ迎えに来た彼女は何とグレーのベンツを運転していた。

「さすがに土建会社の社長は違うな・・・」などと言い、ベンツの助手席に乗り込んだ私は、何気なく後部座席に目をやったが、そこには白いヘルメットと長靴が下に置かれていて、座席は図面や地図などが散乱していた。

また彼女は紺色のワンピース姿だったが、もともと色白だった昔の面影は無く、健康的な小麦色の腕で狭い道路をベンツですり抜けていくのだった。

彼女はその後ほど無く結婚し子供が生まれたが、今度は婿殿を社長にし、自分は専務になってこれを支える形にしたようで、業績も順調だったらしく、それから年に1度くらいの割合で私のところへも仕事が来たが、以後は仕上がるとこちらから送ることにして、直接会うことはなかった。

だがそれも今から10年ほど前からは、まったく仕事が来ることも無く、年賀状や暑中見舞いのやり取りしかなくなっていたが、5年ほど前に年賀欠礼があり、旦那が亡くなったことは薄々感じてはいた。

そして今年のお盆、8月16日、突然彼女から10年ぶりくらいに電話がかかってきた。
彼女の電話はいつも衝撃的だが、今度は何かと言うと、なんと「倒産」だった。
仕事が無く、旦那も亡くなってしまったし、これ以上続けていても借金が増える一方だから、この際家や財産のすべてを失って何とかなるならと思って、土建会社を倒産させたと言うのである。

子供もすでに大きくなったし、後は母親の面倒を診ながらアパート暮らしだけど、スーパーのパートも始めていて、これはこれで「金」を工面する心配も無く、なかなか良いと話す彼女の声は、どこかすっきりしたと言う感じの声だった。

私がまだ相変わらずの小規模超零細企業をやっていることを話すと、そんなの早く辞めて、どこかパートにでも出れば余計楽になる、などと言ってもいた。

男と女のこうした関係とはいいものだ・・・。
肉体関係などたかが知れている。
若いころはどうしても男は女を女と見るし、女は男を男と見てしまう。
がしかし、その前にともに働き、頑張った来た同志、仲間であり、それがこうした年齢になると自然に男女を越えたものになっていく。

青い空は少し哀しい・・・。
そして私はいつも辛いときは心の中に緑の草原をイメージする。
風に吹かれて1人で立っている姿を思い浮かべる。
何も無い、そして孤独・・・。
だがすべてはこれからだ、これから始まるのだと思っていつも頑張ってきた。

電話で彼女の声を聞いていると、何となくこいつは自分と同じなんだな、いつも1つのことが終わったら、そのときが何かの始まりのやつなんだなと思った。

いつかまた、何かの機会で一緒に仕事がしたいものだな・・・。
今度は互いにいがみ合うのではなく、力を合わせて何か素晴らしい事を企画したいものだな・・・。
いつかきっと・・・。

[本文は2009年8月21日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]