2022/04/13 20:54



人間の行動は全てが合理的解釈に基づいてなされているのでは無く、どちらかと言えば非合理的動機、或いは感情と言っても良いかも知れない、そんなものによっても決定されている場合が多い。

例えばあなたが夕食の食材を買い求めようとする時、選択されているスーパーなり店舗が自宅からの距離や価格の安さだけで選択されているだろうか。

実は意外にこうした地理的判断、合理的価値基準は無視されてはいないだろうか。

ある者はその店舗のサービス、店員の接客マナー、店舗の作りや駐車場の有り様、はたまた何故かその店舗に行けば気分が落ち着くと言った具合に、距離が持つ合理的な根拠以外の事由によって店舗が選択されているのではないだろうか。

交通事情の発達と情報化社会は従来から存在していた地理的情勢が持つ合理性を廃し、今日に至っては地理そのものが人間社会によって形成されるようになってきた。

元々国際社会を見ても明白なように、各国の首都などは意外に客観的合理性のみで決定されてはおらず、そこが伝説の地で有ったなどの宗教上の事由、商業などの経済的発展時期が過去に存在した事、更には時の為政者の主観的事由によって決定されている場合が多かった。

交通の要衝であることや、港が近い事、または気象学的に安定した地域で有ることから首都や都が選択されているだけはなかった。

この事から従来地理的条件が人間の都市や、その環境整備を決定付けると考えられてきた一般地理学に対して、人間の行動や時間的空間を想定する「行動地理学」や「時間地理学」などの考え方が出てきたが、私はこれらを総称して「認知地理学」と呼んでいる。

従って「認知地理学」などと言う言葉は学術的には存在しないが、そもそも地理と言う客観的事実と、人間がそうした環境をどう見て如何に評価するかは同じものでは無く、人間の描いている空間的な広がりは「仮想地理」でもある。

ある一定の距離を時間に換算する、例えば千葉県松戸市から都庁までの距離を車で移動する時間と、長野から新幹線に乗って都庁に到着する時間、それに富山空港から都庁に到着する時間では、実はそんなに変わらないどころか、場合によっては富山空港から都庁まで移動する時間が一番短い場合が発生してくる。

この事から首都圏の歯科医院までの移動時間、待ち時間、医療費などの価格を考えたら、東京から富山県の歯科医院に通う場合も有り得た訳で、私は実際そうした方を取材した事が有り、反対に高額な物品であれば近所でそれを売っている店舗が有っても、東京秋葉原で買えば移動に要する費用を考えても安く購入できる場合も出てくるのである。

それゆえ、こうした考え方の中からは現実の地理を反映しない時間地理と言うものが出てくるのであり、この時間地理は人間個人の事情によって集中と分散が有り、ここに時間上の空間が存在してくる事になる。

簡単に言えば連休期間中に空港を使う場合と、平日に同じ距離を飛行機で移動した場合、平日は予約なしで搭乗できるかも知れないが、連休期間中では予約すら取れない事が出てくることである。

この場合時間地理の需要増によって飛行機のチケットが買えない現実は、時間地理そのものが確率になってしまい、その確率に入らなければ移動ができない、時間地理では個人々々の事情によってそれまでの時間内での移動時間では到着できない、つまり時間的には距離が広がったと同じ現実を生じせしめるのである。

そしてこうした時間地理の考え方は平面的な「場」に措いても存在していて、個人が何かを計画しそれを実践していく過程では同じパターンが発生し、その上にこのパターンは中間の時間経過に伴って加速度を持っている。

この事から一人の人間の考えることは、同時に他人の計画と競合していき、ここに本来現実には存在しない時間と空間上に有限の時間と空間を生んで行き、これもまた資源と看做されるようになっていく。

首都圏一極集中、高額な地価価格はこの原理で発生していると言え、ではこの観点から東京を考えてみるなら、近い間に大きな地震が発生する事は確実と言われながら、個人々々が東京から脱出する事が無いのは何故か。

これが「行動地理学」の考え方である。

結局のところ、自然災害などに対して人間が取る行動は、いつ発生するか分からない環境の危機ですら、それを人間がどう見ているかに過ぎないと言う事である。

地震が発生すると言う地理的な事実は、その発生時間が明確では無い事から、当面、今日明日は大丈夫だろうと言う希望的観測が自動更新された状態で先延ばしされる。

災害が個々の事情によって発生時期が先延ばしされた状態なのであり、してその評価基準はと言うと、そう大きな変化が自身の周囲で起こっておらず、生活するためには東京から出て行く訳には行かないし、みんなもそうしていると言う理由からなのである。

地震が発生すると言う地理的事実と、人間がそれをどう評価して行動するかは別なものなのであり、こうした人間独自の判断の集積によっても東京と言う地理が成立している。

そして人間の社会はあらゆる場面で「仮想空間」と「時間」、「時間上の空間」を生み出したが、これらは「現実」と言う決算によって必ずいつか破壊される運命に有るように私は思う。

また高齢化社会によって多くの人間の現実的な行動が自主制限される社会は、移動に関してこうした時間地理やそこから発生する時間上の空間と言う地理から、現実の地理への逆流現象を起こし、その一方で物品などの輸送が発展する事から、やがては自分が動かずに世界がこちらに動いてくるような社会が訪れるかも知れない。

そうした事を予見して、今から「相対性地理学」などと言う考え方も提唱しておこうかな・・・・。

[本文は2012年9月4日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]