2022/04/19 20:06



例えば同じ話をしても、非常に恰幅の良い優雅そうな男性が話をする場合と、痩せて貧しそうな女の子が話をするのでは、一般的に後者の女の子の話には共感し易いが、恰幅の良い男性の話はどこかで傲慢に聞こえたり、その話に真意が無いように聞こえてしまう傾向が有る。


また同じように子供を気遣う母の言葉でも、田舎の農婦姿の女性と、東京で税理士をしている女性の言葉では、同じ意味の事を話していても田舎の農婦姿の女性の言葉に安らぎを覚え、片や東京の税理士女性の言葉はどこかで冷たく感じてしまうものである。

だが基本的にこうした思いは先入観による、言語の自己増幅と自己縮小によるもので、その現実には何等変化が無く、農婦姿の女性に心が有り、税理士女性に心がない訳ではない。

いやむしろ田舎と言う経済的な一種の劣化状態は、その姿とは裏腹に本人が意識するしないに拘らず、非常に大切な心を失った状態の上に作り上げられた笑顔である可能性も捨てきれない。

にも拘らずそれを映像だけで見ている者は、そこに自身が作り上げた仮想の善なるストーリーを加えて見る為、本質を見る事が無くなる。

つまり、そうした状況では安らぎを求める人が、自分の都合の良いように映像から背景を作り出し、それを見ているに過ぎず、この点で人の見るもの思うものとは、常に見たいものを見ているだけであり、そう有って欲しい事を思っているだけである。

そして冒頭の恰幅の良い男性と貧相な少女では、これがどうなるかと言えば、恰幅の良い男性の話にはどこかで真実が感じられず、少女の話に真実性を感じるのは何故か、どうも人間の少なくとも真実と言う価値観は、劣化や弱小と言ったものを捉える傾向が有るように思えるが、これが人間が冒しやすい最も大きな誤りである。

即ち弱い事をしてその人間が正しいのでは無く、貧しい事をしてその人間が正しいのでもない。
貧しい者、弱い者は一般的に悪いことができないように思っているかも知れないが、それは違う。
その貧しさゆえ、弱さゆえに本人が意図しようとしまいと、どこかでは生きるためにずるくもなっているものでもある。
どうしたら一番人から金が取れるかを身に付けている場合もあるかも知れない。

勿論貧しい者、弱い者の全てがそうだと言う訳ではないが、その多くは純粋でもなければ美しくもないものであり、ここにそうしたものを一括りにして真実や正義を見ることは、現実を自身の希望によって歪曲して見ている状態と言え、貧困や政治的混乱から逃げ出している者に正義や真実があるとは限らない。

むしろその現実はそうしたものから一番遠い所に有る場合が多いのである。

戦火を逃れる子供の写真などは、そこに大きな感動、或いは生きる事の意味のようなものを見るかも知れないが、その写真は決して混乱する国家の民衆全てを代表している訳では無い。
むしろほんの一部であり、その場面を撮影した撮影者がこうしたもので有って欲しいと願う、そうした自身の願望を形としたものでしか無い。

それゆえこうした観点から民衆と言うもの、与論と言うものを考えるなら。

為政者や一部の経済人、芸能人や公務員などと、民衆の関係はまさに権力と非権力と言う事ができ、そうした権力側を恰幅の良い男性、民衆を貧相な女の子になぞらえるなら、常に民衆が正しく権力は間違っている、「悪」だと考えてしまうが、非権力、つまり弱い事をしてそれが正義とは決してならない事を考える者は少ない。

民意だからそれが正しい訳では無く、新しく出来たものだからそれが正しいものでも無い。
少数だから、声無き声だからそれが真実で正義だと考えることは大変危険な事である。
恰幅の良い男性だから悪いことをして稼いでいるとは限らず、貧相な少女だから嘘は付かない訳では無い。
そう思ってしまうのは自身の希望によって現実を歪めるからであり、その意味で非権力たる民衆もまた権力と同じ過ちの中に有る。

人間は数の少ないもの、秩序に対する創造に価値観を持つが、ではその価値観を担保するものは何かと言えば、そこに理由は全く存在しておらず、ただ少ない事をして価値観としているのである。

金は確かに美しいが、あれが大量に有る物ならおそらく今日程の価値とはなっていないだろうし、ピカソの絵が何故あれほど高額なのかと言えば、それが当代の絵画界にとっての破壊だった事と、ピカソは一人しかおらず、しかも今はその存在が失われているからである。
その絵画の価値など本当は全く存在しない。

貧相な少女に描く幻想と同じような原理が絵画や金の価値を支えているに過ぎないが、これが人間社会と言うものでもあり、人間はこうした事から逃れられない。

ゆえ、時には貧困に喘ぐ少女を疑う者の言葉にも、耳を塞がず生きる事もまた大切やも知れない・・・。

[本文は2012年9月10日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]