2022/05/06 19:14

いにしえの頃ローマの南、その少し東側に「Latium」(ラティウム)と言う国有りて、新興国だったローマが新しいもの、大衆を意味するとき、この「ラティウム」は古いもの、伝統的なものを指していた。
そして「ラティウム」はやがて古いもの、伝統的なものを指す「ラテン」と呼ばれ、新しいもの、大衆を指す言葉がローマ、つまり「ロマンス」(ローマ的)である。

それゆえロマンスには本来文化的に古いものに対する新しさと、権威や重さに対する軽さ、大衆的な意味合いが有り、同じロマンスと言う言葉を考えるとしても、日本人のそれとヨーロッパの感覚は微妙な違いが有る。

勿論現在に至れば「ラテン」と言う言葉にしても、日本の「古様式」と言う意味を持つことは通常では失われているかも知れないが、それでも薄く僅かでも他の概念の中に生きている感覚であり、同じようにロマンスにも日本人の感覚より僅かに広い意味が包括されている。
即ちそこには男女の色恋沙汰のみならず、「期待」や「望み」と言うものが薄く広がっているのである。

アメリカと言う国家は世界トップレベルの経済大国だが、いわゆる先諸国と言われる諸国の中では「貧困大国」でも有り、貧困には2つの定義が有る。
一つはその日の食料調達も困難な状態、これを「絶対的貧困」と言い、もう一つはその国民の平均所得の半分以下しか収入が無い状態を言い、これを「相対的貧困」と呼ぶが、アメリカの相対的貧困者率はOECDの2004年度調査でも17%と、OECD加盟国中最高位である。

そしてこのアメリカに続く世界第2位の貧困大国が「相対的貧困率」15・3%の日本であり、これが2011年にはどうなったかと言うと、国民の皮膚感覚とも言える世論動向ではアメリカが24%、日本でも19%が既に貧困に陥っている可能性が有ると感じていて、この中で貧困を訴えているのは若年層が多い。

更にギリシャ経済が破綻し、スペイン、ポルトガル、イタリア、フランスなどに経済危機が広がってきている2012年、世界の相対的貧困率は平均でも20%以上に感じられているのでは無いだろうか。

資本主義は拡大を命題とし、その基本は「格差」、つまりは負ける者がいて勝つ者がいる事を理とする。
競争は博打に同じで資本力のある者が必ず勝つ事から、少ない勝者に大多数の敗者を生じせしめ、その勝者の少ない施しによって敗者の生存が賄われる社会が発生するのは避けられない事である。

これがアメリカの経済の大系であり、このアメリカ経済の大系を理論として構築されてきた戦後国際社会の経済が、今日の破綻を迎えるのはしごく当然の事だ。
尚且つこうしたアメリカの経済理論を至上として構築された日本経済がアメリカに次いで先進諸国中第2位の貧困大国となるのも目に見えた事だったが、この傾向は現在に至って加速度的に進行している。

その一つの例は「環境税」と言うものだが、これは国民生活に絶対必要なエネルギー消費に課税する仕組みであり、こうして得られた税収は新しいエネルギー開発に関係する補助としても使われるが、国民の多くが相対的貧困に陥っている今日、そうした新エネルギー開発に着手できる者は資本や資産を持っている者であり、ここに見えるものは相対的貧困者から搾り取った金が資本家や資産家に更に集まっていく現実である。

                                                  「ロマンスの危機」・2に続く


[本文は2012年10月17日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]