2022/05/06 19:16

ここに高齢化社会が進行し、非正規雇用の増加、長引く政治的失策が続く日本経済は相対的貧困者数を増加せしめ、平均収入そのものが下落し始めているのであり、その結果が明日の食料調達すら困難な絶対的貧困者数を増やし、それが形になって現れると生活保護家庭の増加、若しくは高齢者の年金に関わる犯罪数の増加なのである。

1990年の意識調査では、もし生活に困ったら親を頼るかと言う問いに、20代の若者の42%が頼ると答え、これが50代では8%しかなかった。
しかしこれが2007年には20代の若者で親を頼ると答えた者は24%に減少し、その逆に50代では26%まで増加した。

この事は何を意味しているかと言えば、資本形成が本来なら現役労働者人口中最も有利となっていなければならない50代で減少し、高齢者資本形成社会になっていると言う事である。

そしてこうした現象の意味するところは、従来で有れば相対的貧困に相当する年金生活者すら豊かに見える程の限界相対的貧困層の増大と、絶対的貧困者数の増大であり、貧困がその国家の国民が持たなければならない最低限のプライドすら奪ってきている現実と言うべきかも知れない。

1988年、日本人男性が生涯に得られる給与所得は凡そ2億円から2億4000万円、その平均年収は500万円で60歳までの計算だった。
しかし現在のそれは高くても1億5000万円前後にまで減少し、尚且つ70歳くらいまで何がしかの収入を得なければならないと言うのが現実ではないだろうか。

統計的には日本人の平均収入はこの20年で40%減少した事になり、そこに広がる現実は年収240万円以下と言う貧困世帯が既に地方では標準化している傾向を見ても明らかだ。

もはや日本のみならず世界的に経済、行政、政治の改革が必要になってきているが、人間が本質的に未来を概念し始めた時から、そこに求められるものは「安定」で有り、この仕組みは政治の世界も行政も変わらない。

従って政治や行政の変革は人間自身の手では為し得ないものであり、これらを刷新できるものは人間の力を超えたもの、人間が制御できないものによってしか為し得ない。
つまりはコントロール出来ない「経済」、若しくは「災害」によってしか人間は変わることができず、ではこうした経済と災害のどちらかを選択できるのかと言えば、その選択の余地は無く同時に発生するのである。

この20年で我々の収入を40%も失わせたもの、世界から多くの収入を奪ったものの正体、それは豊かさで有り人間の努力だったが、その結果が人間から夢や希望を奪い、ひたすら安定する事を望む、本来なら求めてはならないものへとひた走らせた。
生物の本質は安定では無く、安定は停滞で有り、そこに待っているものは確実な滅亡なのである。

我々の収入を40%も奪ったものは、我々が失った40%の新しいものを求める気持ち、夢や希望、そう言い換えるなら我々一人一人が失った40%のロマンスだったのである。


[本文は2012年10月17日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]