2022/05/06 19:21

本来、多数決の原理が多数をして専横を目的としない、いわば少数意見をどう多数意見の中に反映するかを主たる精神としているように、メディアと言う公共媒体が多数意見を報道する事を目的とし、マイノリティを批判すれば、報道が持つ本来の自由独立の精神を放棄するに至る。

2012年10月13日、フランス公共放送「France2」の情報番組での事だったが、同番組はその週内での出来事をランキング方式で紹介する番組で、この週の1位にランキングされた話題は日本対フランスのサッカーの試合で、フランスのチームが敗退した事だった。

そしてその際フランスの攻撃を鉄壁の守備ではじき返した日本のゴールキーパー「川島永嗣」選手を称賛するとも、揶揄するとも取れる同選手の腕が4本になった合成写真が紹介され、司会をつとめていたフランスのコメディアン「ローラン・リキュエ」氏はこの写真に付いて「彼が福島の影響としても僕は驚かないね」と発言、これに会場からは笑いが起こり、ついでに拍手なども起こった。

まあ趣味の悪いジョークと言うものだったが、この番組を見ていたヨーロッパ圏内の各地では少しだけ批判が起こった。

「ジョークとしても行き過ぎている」と言うもので、この段階では特に大きな問題にならかったが、やがてこの番組に過剰反応した日本から「許せない」「謝罪しろ」と言った声がネインターネット上であがり始め、これに対して2012年10月16日には日本政府が外務省を通じて正式にフランスに抗議し、日本の新文部大臣「田中真紀子」氏も「不適切だ」との見解を示した。

また日本の各メディアもこの事を大きく取り上げ、そこでは評論家が語気を荒げて不適切だと発言、フランス文学者の「鈴木創士」氏もネットを通じて、ローラン・リキュエ氏のようなフランス人を見ると虫唾が走ると嫌悪の感情を露にした。

更に日本のインターネット上ではこの問題がヒートアップし、「謝罪しろ」「日本国民を愚弄している」など、過激な書き込みが相次いだが、私は一般大衆の言葉はともかく、日本政府や文部大臣、それに日本の報道機関やフランスとの関わりが深い「鈴木創士」氏がフランスをどうこう言うのは不適切だと思う。

いやこうして僅かスポーツの事で、フランスと言う国家を最も理解しているはずだろう鈴木氏のこうした発言には逆に虫唾が走る。

10月17日、こうした日本の反応に対し、当のローラン・リキュエ氏はラジオ番組で「報道の自由を阻害するもので、絶対謝罪しない」、そう発言したが、私は日本人としてローラン・リキュエ氏を支持する。
人間が皆同じ考えで有る必要は無く、基本的に日本で発生した地震について海外の外国人が悲しむ必要は無く、むしろ関係ないのが普通である。

厳密に言えば震災で被害に遭遇した遺族、関係者以外はその苦しみや悲しみを理解することはできず、その苦しみや悲しみを他人に求める事は傲慢な事であると思う。

基本的に生物は自分が生きる事を最大の目的とする事から、その同種の他が消滅する事は自身には関係の無いことであり、こうした生物的原則が有るからこそ、人は他を慈しんだり悲しみを共有できるのであって、他に強要すべきものでは無い。
いわば自発性を強要し、それにそぐわねば人間性が無い、若しくは国民を愚弄していると考える事は最も忌避せねばならぬ全体主義と言うものである。

悲しい事が有ったからと言って日本人皆が悲しまなければならない訳ではなく、ましてやそうした配慮を他国文化に求める行為は、韓国や中国が日本の教科書に干渉する行為と図式が全く同じである。
これは不幸や悲しみを盾に取って他の言動や独立した精神を侵すものと言える。

人が持つ意見の中には多数である事をして正しいとは限らないものも存在する。
それゆえ多くの対立した意見を「心」をして統制してしまうと、雑多な意見の持つ部分的な正義までも封鎖してしまい、やがては本当に正しい事すら言えない社会が顔を出し始め、いや日本は既にそうなってしまっている。

「心」を人に求めてはならない。
それは個人が自身で判断する事であり、震災と言う災害に関してそれをどう思うかは個人の自由である。
これを悲しんでくれる、気持ちを配慮してくれる事は有り難い事だが、その事を強要して人の心、言動を封鎖することをしては、万一その多数意見が間違った方向に走っていてもそれを修正できずに突っ込んでしまう事になる。

事実震災復興費の使い道を巡っても既に問題が出始めている昨今、「絆」や「復興」のスローガンの元にあらゆる事がたった一つの意見、考え方に国民を向けさせ始めていて、その影で言論が自由を失い、あらゆる問題を闇に突き落とし始めている。

フランス第五共和政第4代大統領「フランソワ・ミッテラン」に隠し子騒動が発覚した時の事だったが、この事を取材してたのはイギリスやアメリカ、それに日本の報道機関だった。
各国の報道機関がミッテランを囲んで「隠し子はいるんですか」と尋ねたが、ミッテランはこの時「ああ、いるよ、大きくなってるよ」と言って立ち去り、そしてフランスではこの事が問題にすらならなかった。
それほど個人の自由を重んじるのがフランスと言う国家だ。

日本ではジョークにならない事でもフランスではジョークになる。
この事を理解せずに政府関係まで真剣に怒っていては、現在の韓国と何等変わらない他国理解の在り様と言える。

従って国民が意見を発言する事は肯定されても、政府機関や報道機関、それにフランスに一定の関係が有る日本人が、スポーツ評論くらいの言葉で怒りを露にする事は適切では無い。

「自分を理解して欲しかったら、まず相手を理解する事だ・・・」                                                 

 Gaius Iulis Caesar

[本文は2012年10月23日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]