2022/05/14 21:12

「緊急動議を提出しまーす」
「三木君、三木武吉君!」

衆議院本会議で今まさに「憲政会」が提出した「普通選挙法案」が「立憲政友会」所属議員によって否決されようとしていたその時、本会議に遅れて分厚い資料を片手に議場に駆け込んだ三木武吉は、息も整わない間に大声で緊急動議を叫んだ。

これに対し議長の「大岡育造」は少し慌てたように三木を指名する。
が、しかし議長から指名を受けた三木はキョトンとした顔をしてこう言う。
「この神聖な議場の、しかも議長席にあたかも議長面して着席する貴君は何者か」
「このような訳の分からない者がその席に在る間は審議などできん、即時散会を求める」
「まずその議長席におる、訳の分からん者から出て行け」

何を血迷ったか三木武吉は大岡から指名されると、開口一番議長の大岡に「貴様、何者だ」と詰め寄るのである。
一挙にムッとなった大岡・・・。
「この議場で吾輩を大岡と知らん者など一人としておらん、三木君は吾輩が何に見えると言うか」

「気でも狂ったか・・・」
「人を気狂い扱いするとは何事か」
「衆議院議長はまず衆議院議員で無ければならない、然るに貴君は衆議院議員徽章を付けていない」
「議員徽章無き者は衆議院議員とは認められず、従って衆議院議員で無い者は議長では有り得ない」

できるだけ冷静にに対処しようと言う思いから極力怒りを抑えた大岡の口調、その様子は三木を嘲笑するかのような雰囲気だったが、議員徽章はどうしたと言う三木の発言に一挙に本会議場は野次の応酬となっていく。

「そうだ、そうだ、議長でもない者が偉そうにするな」

「憲政会」側から野次が飛べば、「立憲政友会」側からは「姑息な手を使って散会など卑怯だぞ」と言う声が飛ぶ。
議長の大岡はここに至って三木が何を目論んでいるかが解ったのか、少し苦笑いして三木に反論した。

「議員徽章が有ろうが無かろうが、この大岡を議長と認めない者は本会議場にはいない」
「議員徽章は議員で有るという印であり、常に付けておかねばならない訳では無い」
大岡は三木の思うところが分かって少し余裕が出来たのか、かすかな笑を浮かべながら三木を睨み付けた。

「憲政会」が提出した「普通選挙法案」は「立憲政友会」が反対していて、この法案を二度と憲政会側から提出できないようにするため、「一事不再議」、つまり一度国会の本会議で否決した議案は同じ議案を再議決しない原則に鑑み、本会議で否決する事になっていたのだが、この採決直前に姿を現して難癖を付ける三木、その意図は採決の妨害に有ることは容易に予測できる事だった。

「たかが徽章一つで採決を流そうとは・・・、ふん!、そんな姑息な事はさせんぞ」
大岡は議長席から見下ろすように三木を嘲笑った。

だが大岡を下から睨み上げるように目を据えた三木武吉・・・。
「君はこの大岡を知らん者が有ろうかの勢いだが、議場で徽章を付けん者は議員に有らず、従って議員でもない者は議長でも有り得ん」

「これは先例集だ、ここには本議場で徽章を付けん者は議員に有らずと言う先例がある!」
三木はその手に持っていた分厚い資料を高々とかざした。
そしてこれにたじろぎ、先例と聞いて顔面蒼白となった大岡、結局「先例が有るなら止むを得ない」として本会議を流会にするしかなくなったのである。

今日に至ってまで、国会本会議では議員徽章を付ける事が絶対的な雰囲気を持っているが、その始まりは実はこのエピソードに由来し、また三木武吉が持っていた資料が本当に先例集だったかと言うと、さにあらず。
実はそんな先例など無かった、全て三木の口から出任せだったのである。

三木武吉(みき・ぶきち・1884年ー1956年)は政界の寝業師、大狸、野次将軍と言われた明治以降、近代を代表する政治家で、鳩山一郎(鳩山由紀夫元総理の祖父)と共に自由民主党と言う連合を実現し、社会党との2大政党体制、所謂55年体制を築いた立役者であり、今日に至ってもその有り様は多くのファンを持ち、中曽根康弘元総理などは本心かどうかはともかく、「金丸信」の幹事長時代を評して「三木武吉」を超えたと言っているが、甚だ笑止である。

愛媛県香川郡高松、現在の香川県高松市で骨董商を営む「三木古門」の長男としてこの世に生を受けた武吉、しかし少年期から既に破天荒な行動が目立ち、高松中学在学中には食い逃げ事件の首謀者として退学処分に、その後転学した同志社中学でも乱闘事件を起こして追放処分を受けるが、やがて東京の「星亨」(ほし・とおる)を頼り、星の法律事務所で書生として働く事になる。

星亨は野党自由党の有力者だったが、第1回の帝国議会では政府と真っ向から対立し、為に第1回の帝国議会は予算削減を巡って紛糾、これでは先の展望が望めない陸奥宗光は星と直接話し合い、ここで星に議長の椅子を用意する事で政府原案に同意するよう求め、星はこれに同意する。

星亨は陸奥に負けず劣らずの強引な手法、利益誘導型代議士の元祖とも言えるものだった。
それゆえ汚職の噂も絶えず、1901年、東京市議会議長在職中に刺殺されたが、三木武吉はこの星を通してその後の有りよう、人として男としてどう有るべきかを学んだように思う。
                         
「自由民主党」・2に続く


[本文は2012年11月19日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]