2022/05/19 19:22

1989年当時、愛知県犬山市に在住していた「山崎茂吉」さん(仮名・当時79歳)は早くに両親を亡くし、その為20代後半の頃、生家の有った岐阜県鶴見から一人暮らしだった祖父を引き取り面倒を見ていたが、その祖父が10代半ば頃に実際に体験した話である。

当時「山崎茂吉」さんの祖父「山崎源次郎」さんの家は木商人(きあきんど)と言うから、小規模な木材商、或いはその人夫作業頭をしていたか、その辺ははっきりしないが、いずれにせよ少しばかりの畑と森林関係の仕事で生計を立てていたらしく、この時僅か20年ほど存在した「岐阜県鶴見村」(現在の揖斐川市)に住んでいた。

1891年、10月中頃のことだった。
実際源次郎さんの父親が何故源次郎さんを連れ出したかは不明だが、或いは冬にソリで木材を引き出す為の道を下見していたのかも知れない、その帰り道での事だった。
獣道を僅かに外れてしまった源次郎さんは細い水が流れている緩やかな谷に出てしまったが、そこは来た事も無い場所で、何となく薄暗く湿度が気温を押し上げているような感じの悪い場所だった。

これはまずい、ここに長くいては恐らくろくな事にならないだろう、そうとっさに判断した源次郎さんは慌てて父親の名を叫ぶが、意外にも大きく外れてしまったと思っていた父親の声は近くから聞こえて来た。
そこでさっき父親の声がした方向へと足を早めた源次郎さんだったが、その少し小高い土手を登った直後、生涯忘れることの出来ない光景に遭遇する。

何と眼前の杉木立の中には何十本、或いは100本を越えていたかも知れないが。白っぽいネズミ色の人間の手が生えていたのである。
大きさもまちまちなら向いている方向もバラバラ、まるで死人の手のような薄気味悪い手が、力なく半分開かれたようにあちこち地面から生えていた。

杉木立の下は薄暗く、それはまるで地面の下から助けを呼ぶように、また近くを通る者の着物の裾を恐らく必至で掴むであろうように、今は静止しているが、源次郎さんがそこを通れば絶対に動き出すかのように思われた。

源次郎さんは立ちすくみ、背筋に冷たいものが走った。
さては黄泉の国の入口に立ってしまったか・・・。
源次郎さんは一瞬もう家には帰れないかも知れないと思った。

が、そこで震える体を抑えながらもう一度父の名を呼ぶ源次郎さん、それに対して父親はただならぬ息子の異変に気が付いたのか、今度は大きな声で「源次郎、源次郎」と何度も叫び、その声を辿って地面から手が生えているところを避けて、更に何段も続く小さな土手を走って逃げた源次郎さんは、ほうほうの程で父親の足元に転げ込んだ。

「どうした・・・」
怯える息子に声をかける父親・・・。
源次郎さんはこの父親の声に、やっとの事で生き返った気がしたと言う。
「とーと(父ちゃん)、亡者の手や、手が生えとる」
源次郎さんは少し落ち着くと父親に事の顛末を話して聞かせたが、父親は「みみ」(きのこ)でも見間違えたのだろうと、信じてくれない。

確かに本州のいたるところで見られる、通称「ネズミの手」あるいは「このみたけ」と呼ばれる20cm前後の樹木状のキノコは、無理にそう見ようとすれば見えないことはないが、しかしその形状はあくまでも枝が張った樹木のミニチュア形であり、こうした事を幼い頃から認知している源次郎さんがそれを見間違えるとは考えにくい。

源次郎さんがあまりにしつこく「手だ、人間の手だ」と言うものだから、やがて息子の話に根負けした父親、源次郎さんの言うように土手を何回か降りて行ったが、暫くして、そこまで降りる勇気のなかった源次郎さんが待っているところまで戻ってくると、「源次郎、この話は家の者にも、村の者には話しちゃなんねぇ」と言うと、顔面蒼白のまま先に立って山を降り始めたのだった。

そして源次郎さんの父親はその帰り道、源次郎さんに先に家に帰るように言うと、自分は村長の家に入って行った。
この時源次郎さんはどこかで父親が、あの地面から生えている手を見たのは初めてではないような、それとも話だけでも知っていたような気がしたと話している。

それでおそらく翌日は村長の都合が悪かったのだろうか、翌々日に源次郎さんの父親と村長が2人で山に入って行くのを見た源次郎さんは異様な胸騒ぎを覚えたと言う。

国内陸地地震では最大級のM8・0、死者行方不明者7273人、負傷者17175人、全壊家屋142177、がけ崩れ10224箇所の被害を出した「濃尾地震」が発生したのは1891年(明治24年)10月28日、源次郎さんが、山の中であのおどろおどろしい人の手を見た日の9日後の事だった・・・。

これが山崎茂吉さんが祖父「源次郎」さんから聞いた話の全てである。

いかようにも推測は出来るだろうし、地震との因果関係も否定するのは容易だろう。
私もこの話だけならおそらく信じる事はできなかったかも知れない。

でもたった1件、こちらも口伝でしかないが、中国・四川省・松藩(ソンバン)付近には中国が共産主義国家になる以前に「地面から手が生える」伝承が有り、その伝承によればこうだ・・・。
「大地より人の手出ずるなら、これ天下動乱、天変地異の兆しなり・・・」

源次郎さんの父親と村長は何かを知っていたのだろうか・・・。
地面から手が生えると言う記録は、現在世界でこの2例しか残っていない。
しかも文書記録ではなく、辺境の古村の伝承でしかないが、それでもこうして残して置いてくれたおかげで、私はこれを漠然とでも知る事が出来た。

後世もし、地面から手が生えると言う現象が起こったなら、決して慌てるでは無い。
そうした事は過去にも存在した事が有り、漠然とでも良いから天地動乱に備えよ・・・・。


[本文は2012年11月29日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]