2022/06/09 18:50

権利はそこに主張が伴う事から、一見能動的に見えるかも知れないが、この事自体は「他」に対して容認を求める、或いは何かを付与、保証されることを望む意思が根底に存在している為、実態は「非積極性」、「受動的」な考え方と言える。

おそらく「平等」と言う考え方と近いか、若しくは同じものと言えるが、「他」に対する比較上の概念であり、一つの理想、希望と言ったものかも知れない。
それゆえ権利を求める行為は「他」に何かを求める行為となり、ここに求める者が存在することは必然的に自身が求めるものを保証する相手を生むのであり、ここに権力が発生する。

つまりこの世界で或る時は忌み嫌われ、また常に抵抗概念の対象となり易い権力は、権利を求める考え方、民衆の希望や要求から発生するものなのである。

第二次世界大戦中の大英帝国宰相「Sir Winston Leonard Spencsr Churcill」(ウインストン・スペンサー・チャーチル)は「民主主義は最低だ、だが人類はこれ以上の方法を持たない」と語っているが、これは民主主義を良く理解した言葉と言える。

民衆主義の行き着く先は民衆の要求が個人レベルにまで達した「分散」で有り、これに政治と言う権力が原則的に民主主義を実現しようと考えるなら、そこに実体のないもの、規制や法と言ったものまで包括した形の「保証」が発生し、為にその保証の暫定付与者である政府、言い換えれば「権力」もまた「分散」し、結果として分散は一つの「崩壊」でも有る事から、その国家は国家としての崩壊を迎えるのである。

そして一般的に「崩壊」と言うと悲惨で悪いイメージが有るが、「崩壊」はある種の「解放」、または「救い」でもある。
人間は基本的に物理的なものでは救いが得られない。
そこに存在するものはただ一時の気休めに過ぎず、酒を飲もうが美女に囲まれていようが、本質的闇は解消されることなく深化し、ただそれを先伸ばしにしているだけ、しかもそれに自身で線を引く事ができない。

ゆえ、この状態を解消せしめるものは「他」なのであり、自然災害を含むあらゆる「理不尽」、または物理的崩壊によって悲惨な事になったとしても、それが自身を開放する結果となる。

会社の金を横領していたとしようか、幸いにもこれまでは発覚しなかったが、必ずいつかは発覚する事が分かっていて、それでも何とか誤魔化そうと画策し、その間は確かに物理的崩壊は延長されるかも知れないが、「いつバレるのだろう」と言う不安もまた延長され、しかも不安はどんどん深くなっていく。

が、いつかその時はやってきて事は全て発覚し、始めてそれまで自分の全ての根底を為していた不安や怯えからも解放される。
当然それまで築き上げてきた信頼、社会的地位や職業、場合によっては家族も離散するかも知れないが、その本人に取っては横領が発覚しない事と、発覚した方ではどちらが幸福となるだろうか。

実は今の日本はこの横領が発覚する寸前の状態に似ている。
日本が抱えている一番基本的な問題は「社会福祉」だ。
少子高齢化社会の問題は日本と言う国家のあらゆる問題の基盤となってしまっている。

マクロ的には高齢者の年金を制限し、同じく飽満になっている高齢者医療制度を制限することが望まれるが、現実に目の前に在る者は自分の親であり、自分の生活である。
これを個人が線引きする事はできない、つまりその個人の集積である民主主義国家は先の横領犯と同じく、いつまで経っても自首する勇気は出てこないのである。

だがここで重要になってくるのが、今日日本のこの権力の分散、政治の混乱と近くに迫っている震災気象災害の危険性である。
どこかで横領が発覚する時が目の前に来ている、そんな感じがする。

悪事をはたらいた人はその悪事ゆえ、自分ではどうにも抜け出せないかも知れないが、これを救ってくれるのは、それまで命懸けで守った来た秘密を暴露してくれた人、自分を破滅に追い込んでくれた人となるのではないだろうか。

おそらく次期政権を樹立するで有ろう安倍政権はまず経済で壁にぶち当たり、外交防衛で壁にぶち当たる。
そしてTPPを含む諸外国の圧力と民衆の軋轢から、2013年4月には調整機能を失い、7月には完全に処理方法すら失う。

政治形態はこれまでの民主党と同じように、首相が目まぐるしく変わり、その間国家の問題は停滞し、経済は落ち込んだ上に震災復興税、環境税、それに場合によっては景気浮揚策のない消費税増税、健康保険料の負担増額などが加わり、原材料物資はインフレーション、その他は全てデフレーションと言う状態を迎える。

つまり日本経済は破綻、政治的にも完全な崩壊がやってくる上に、この年々激化する気象、それにいつ発生してもおかしくない東海地震と関東地震、先の日本海溝地震による地盤の歪み変化による日本全土の地震の激化、霧島火山、富士火山帯の活動活発化などが必ず重なってくるだろう。
これらは決して偶然ではないように私には見える。

そして日本には貧困、政治的混乱、災害と言ったあらゆる「理不尽」が降ってくるが、この事をきっといつか日本人は感謝する日が来るだろう。
生きる権利も、人間が思っているあらゆる権利も初めから存在してない「虚」で有り、ここで大切なのは我々は誰かの許可を得て生きているのではなく、自分で生きていると言う事実だ。

また災害は有ってはならないものではなく、必ずやってくるものであり、この事実を否定したり先伸ばしてしても何の意味もない。

まずそれはやってくる現実を認め、そこから個人々々がどう生きるのか、生きようとするのかを考えねばならず、あらゆる崩壊、混乱、災害と言うものは「破滅」と同時に「救い」の中に有るのではないだろうか・・・・。


[本文は2012年12月19日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]