2022/06/12 20:19



テレビメディアが大きく変化したのは1998年頃だろうか、パソコンが価格的にも質的にも汎用性を拡大し、大衆化してくると共に、それまでテレビと言うメディアが持っていた情報の速度、現実の演技によるエンターティーメント性が、視聴者との情報の双方向性速度で対視聴者的劣勢に陥り、更にはバーチャル映像エンターティーメントの完成度に、それまでの手法がやはり劣勢を強いられてきた事から、テレビメディアは視聴者と言う市場に対し事実上追い付いて行けない状態に陥った。


ニュース速度はリアルタイムで現場に近い視聴者が報道できるネットシステムが出来上がり、これに専属の記者が映像的にも取材速度的にも追いつかなくなり、片やゴジラが良い例になるが、膨大な費用を要して作られた都市模型が爆破されて撮影されるクラシカル手法より、コスト的にも映像的完成度の面からもバーチャル加工技術が優勢になり、この事が事実上日本からゴジラを追い出してしまう事に繋がった。

またテレビメディアの市場は視聴者だが、その視聴者で有る大衆の動向はスポンサー企業との連動性の中に有り、従ってテレビメディアが視聴者に対して劣勢になっていくと、スポンサー企業からも劣勢になって行かざるを得ない。
ここにテレビメディアは完全に行き場を失ってしまった。

一方、こうした状況の中、テレビメディアは初期の頃ネット社会との競合を避け、対ネット防衛方式の経営を敷き、こうした軋轢はライブドア事件に象徴される現象を生み、ここからテレビメディアは旧来の非ネットメディアと相互に経営的防衛措置を画策した。
つまり非ネットメディアは株式の相互持ち合い、或いは相互資本参入によって初期のネット企業防衛網を敷いたのである。

そしてこうした傾向に目を付けたのが、関西の吉本興業で有る。
吉本興業は太平洋戦争以前、日本のエンターティーメント興行を仕切っていた経験から、資本でメディアを支配する事を経験則的直感として持っていた。
それゆえインターネット社会拡大傾向の初期に見られた「対ネット企業防衛傾向」に乗じ、テレビメディアに対する資本参入、株式取得を強化して行った。

ここに吉本興業は本来なら親木が有って、そこに巻き付くことで自身も成長できる蔓草ながら、親木を支配する体制に入り、テレビメディアは完全に吉本興業の栄養源に陥ったのであり、やがて初期に見られた対ネット防衛経営では更に業績が悪化する事から、遅れてネット社会に参入するようになったテレビメディアは既に未来構想を失っていて、まるで型で押されるトコロテンのように吉本興業へ依存していくのである。

インターネット市場に視聴者もスポンサーも奪われてしまったテレビメディアは、頼めば人も出してくれる、番組そのものも作ってくれる吉本興業と言う麻薬から抜けられなくなって行ったのであり、スポンサー契約が減少していく中でネット社会に飲み込まれる直前、最後の場として「お笑い芸人メディア」に陥るしか選択の余地をなくしてしまったのである。

考えてみればおかしな話だが、政治や海外の民族紛争の解説コメンテーターに、自身の体すら管理できない太ったオカマがもっともらしい事を言い、漢字すら読めない女が社会問題に付いて語っているのであり、ドラマなどの役者も、いつも他人の目を気にしながら生きているような、賎しい目をしたお笑い芸人が下手なセリフを棒読みしているのだ。

何かがおかしいどころの騒ぎではない。
既に異常な世界なのであり、ここに「お笑い芸人メディア」と化したテレビメディアから視聴者が離反していくのは是非もない事だ。
時々テレビのバラエティー番組などが目に入って来るが、そこに見えるものはある種の滅亡感に対する自虐性と言うものかも知れない。

しっかり勉強し、その分野に付いて並々ならぬ造詣を持つ専門家が吉本興業の資本によって傍らに追いやられているのであり、実は同じようにその分野の専門家がアマチュアリズムに追いやられた歴史は、20年ほど以前から地方では始まっていて、ここでも吉本興業はその趨勢にいち早く乗じていく傾向を持っている。

本来政治や海外紛争、事件などの解説は新聞社論説委員、評論家、政治問題の研究者が為さねばならない事で有り、役者は厳しい鍛錬を修めた者、或いは天からその才を授けられた者が為すべき事で、お笑い芸人は人を笑わせる才に長けた者が為す事である。

これを中途半端な者が行えばどうなるか、そこには所詮はアマチュアリズムと言う前提が生じ、為に責任のない言葉が横行する事になる。
責任の無い言葉は聞いていると心地良い時も有るが、それゆえに軽く、本来責任を持った者が言う言葉に対する覚悟こそが言葉の力とするなら、それは「遊び言葉」でしかない。

テレビメディアは今、終焉を迎えている。
経費の面から、利便性から、或いは資本関係から吉本興業を多用すれば、昭和から続いていたようなテレビメディアの特性はいち早く終焉を迎え、ネットメディアの一部に衰退するだろう。

報道はスピードが全てでは無い、エンターティーメントとは何か、プロフェッショナルとは何か、最後にしっかり考える必要が有るのではないだろうか・・・。

[本文は2013年1月30日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]