2022/08/01 19:36



蒸し暑い夏の日、涼しい風が通る縁側で、素麺などを喉に流し込むのは至福の時と言うものだが、近年流行の観光地の流し素麺などはどうも頂けない。


沢山の人が流れてくる素麺を狙うあの殺気だった人間模様と言うか、食いがつれ感が疲れる。

それはともかく夏の定番流し素麺だが、この時に使っている素麺つゆ、それを単独で飲むと味が濃くなっているのは、水の中を流れてくる素麺に付着している水分でつゆが緩和され、口に入った時ちょうどの味になるからだが、厳密に言えば人間の脳は素麺の外側についている味の濃いつゆを先に認識していて、しかし次に味の緩和された情報を受け取る為、前の情報が感覚として脳の中で成立しないまま、曖昧な状態で新しい情報、長く続いている情報を優先させている。

また水の中を通ってくる素麺がだしつゆに入ると、そこで味が薄くなることを人間は経験値として認識している。

白いものが黒い液体の中に入れば白いものは黒の影響を受け、黒いものは白いものの影響を受ける事を生物的経験則として知っているからだが、或いは冷たいものと常温のものでも、冷たいものの方が感覚の伝播速度が遅い分、味は薄く感じる。

しかし現実には素麺つゆの分子と水の分子結合は、瞬時に人間の感覚差異を認識させるだけの大きな変化をしていないし、冷たい状態と常温の状態はそれが氷結しているので有れば別だが、液体として存在していれば、やはり人間に感覚認識をもたらすほど大きな質的変化では無い。

ではどうして素麺が入ったつゆは味が薄く感じるのか、冷たいものの味が薄く感じるのかと言うと、それは脳が決めているからだ。

素麺がだしつゆの中に入ると、その外側には味の濃い部分ができ、素麺の表面付近は味が薄い部分になり、更に素麺本体は味が付いていない事から、人間の脳は一番最後に感じる味の無い素麺の味覚の干渉を受け、瞬間的過去記憶がこれに融合される。

また冷えただしつゆに対する感覚察知は若干遅れ、ここでも経験値から「薄く」感じ、その上に他の多くの獲物を狙う競合者達が周囲にたむろしている訳だから、一種の状況的飢餓が発生し、こうした状況や経験値、生物的感覚構成特性から全く現実とは異なる総合評価が出てくる。

つまりどこで食べようがそう大きな違いの無い素麺が、「これは美味い」となるのである。

人間の感覚は言語と同じようにその一つの表現が一つの意味で構成されてはいない。
所謂言語の束、語彙(ごい)と同じ仕組みになっていて、従ってあらゆる感覚が視覚を通して記憶される事から、全ては視覚の束、「視彙」(しい)なのであり、これは感情も同じである。

それゆえ人間は感情を正確に認識する事は出来ず、自己と他の範囲と言うものも、こうした視覚が持つ視彙的分布不均衡の水溜りのどこを見ているか、感じているかと言う事に過ぎないかも知れない。

人間の感覚は「濃いもの」「使用頻度の高いもの」「最新のもの」の総合評価であり、この中で一番わかり易い自己と他の認識は「使用頻度」である。

葛飾北斎はニワトリの絵を描く時、自身が最も好んでいた絵を何枚、何十枚と模写し、そこから自分のニワトリを描いたと言われているが、同じことが何度も繰り返される状態はその状態以外を認識する事になる。

「これはさっきまでのものとは違う」と言う状態を認識させる事になるのであり、ここでは同じ繰り返しとの相異が「他」に成って行くのである。

毎日似たような環境、状況、それに家族や友人、又は視覚的嗜好、音的嗜好などの感覚嗜好は大きな変化をせずに繰り返されるが、感情もまた大きな変化をせず繰り返され、その事が自身にとって例え悪いことだと思ったとしても、繰り返される事から恒常性を帯び、これらの総合的評価として漠然とした「自己」が存在するのかも知れない。

我々が見る今の現実とは、その瞬間からこうして経験値と言う過去と、その経験値が「則」となった予測値の影響を受ける。

だからこの瞬間見ている現実は過去と未来が融合されたものなのであり、これは時間経過と共に脳の中にある視覚を通した記憶、視覚の束(視彙)の中に取り込まれ乍複雑なカテゴリーに分類され整理される事から、善悪の方向を問わず歪められるか、薄くなる。

本質的に事象には善悪が無く、ここではその人間が良いと思う事も悪いと思う事も全て歪みで有り、現実を反映していない。
ゆえ、その視彙性がどのカテゴリーに含まれるかは今の瞬間の影響を受ける。

つまり人間は過去と未来に生きて今を見乍、その今によって過去と未来が影響を受けている。
恨みや妬み、或いは苦しみや悲しみも、これらが持つ単独の言葉だけでは構成されていない。
その中に喜びも有れば優しい気持ちも有り、人を慈しむ気持ちも、過去も未来も全て濃度で含まれながら、全ての総合が今の自分の気持ちなのであり、自分なのだろう・・・。

では、難しい事はさて置き、素麺を食すとするか・・・。
「暮れそで暮れぬ 夕焼けの 折れ素麺に 母の笑み顔・・・」

[本文は2013年7月16日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]